日本中をまきこむ大改編になる。なるほど例の千六百軒が乱立する非効率きわまる状態は改善されるにしても、現場の混乱は甚大だろう。新城も守屋もどんな新しい身分があたえられるのか、どんな仕事をやることになるのか想像もつかない。もちろん上司や他署の刑事も。

 みんなみんな文字どおり明日をも知れぬ状態なのだ。読者はこうして殺人事件の行く末と、ふたりの主人公の行く末と、それから日本の警察そのものの行く末にまで思いを馳せることになるわけである。まことに類書にはない多重塔のような読み味で、ページを繰る手が止まらなくなるのは無理もないのだ。

 構成もまた秀逸である。新城と守屋がだんだん互いを理解していく、ということは自治警と国警が史上最後の協力関係を築いていくのと軌を一にして捜査そのものが大阪市から大阪府へ、そうして全国的規模へと進んでいく。その足どりは確かである。ミステリでありつつ、スケールの大きい歴史小説をも思わせる展開といえるが、よく考えれば、新城はじめ登場人物の多くは、もしも実際この世に生を受けたとしたら現在百歳前後である。

 そういう時代の話なのだ。見かたによっては歴史よりも身近な過去の物語かもしれず、だとしたら、こんなところにも読者が味わう強い臨場感の一因がある。

 とまあ、はからずも少し抽象的なところから話を始めてしまったが、本作の魅力は何よりも具体的な描写にある。

 たとえば先ほども触れた「三十八度線」の周辺、不法占拠のバラックのならぶ盛り場は、まず、

 戦後、国家が崩壊した間隙から、食糧配給制度の脆弱さをついて生まれた闇市のなれの果て。

 と簡潔に起源が説かれ、それから、

 大小便とも、闇屋の出汁とも、廃油とも、密造二級酒とも、腐った生ゴミとも取れぬ、それらが混じりあった悪臭がそこかしこから湧き立つ。

 その中に一軒の小さな居酒屋が佇む。

 と描かれる。読者は視覚とともに嗅覚も刺激される。そうしてその居酒屋の厨房のラジオから流れる「場違いに朗らかな」曲が美空ひばり『ひばりのマドロスさん』とくれば耳までくすぐられるわけで、これで読者はいっぺんに昭和二十九年の大阪という知らない世界へ――たいていの人は知らないだろう――放り込まれる。

 新城や守屋といっしょに底辺の街を歩くことになる。私はさっき読者が味わう臨場感がうんぬんと言ったけれども、順番で言えば、こっちを先に挙げるべきだった。歴史の知識が得たいなら教養書を読めばいいが、その時代にしかない手ざわり、肌ざわりを感じたいなら優れた小説に就くほかないのだ。日本推理作家協会賞、大藪春彦賞受賞。

2023.08.01(火)
文=門井 慶喜(作家)