私は六九年に群像新人文学賞の「漱石試論」でデビューしましたが、じつはその前にも、東京大学新聞が主催している五月祭賞というのがあって、評論部門で、六六年と六七年の二度佳作に選ばれています(二篇とも『思想はいかに可能か』〔インスクリプト〕に収録)。この五月祭賞は、小説部門で五七年に、大江健三郎が「奇妙な仕事」で受賞して大きな話題になったため、知られるようになったものですが、六七年に終了してしまった。しかし、私のせいではありませんよ(笑)。
その時点からペンネームとして「行人」を使っていました。本名(善男)がいやだったからです。その理由は、いうまでもないでしょう(笑)。
<「柄谷行人」ができるまで──「交換の力」を考え続けた六十年 より>
2023.06.20(火)