実は、大学でも短い間バスケットボール部に入っていたのですが、デモで忙しくなり、部活動どころでなくなって、一ヶ月で辞めました。寮にいた頃は、毎日のようにビラを書いていましたよ。でもアジ演説などは苦手で、まったくしたことがありません。

 よく私は、ブント(共産主義者同盟)という党派に所属していたと言われますが、当時はもう、正式に加入するような手続きはなくなっていたんです。一九六〇年の安保闘争のデモに行ったために、ブントの人たちと親しくなったけれど、ブントに入る手続きなどはなかった。たまたまそこに住んだ、という感じでした。

 ただ、外からは、私が東大駒場を代表するように見えたらしい。駒場があの時代に特異だったのは、他の大学とは違って、学生の大きなデモがあったことです。慶應はデモなんかしないし、早稲田でも少ない。デモが頻繁にあったのは東大だけで、それも本郷校舎ではなく、東大駒場が中心でした。だから本郷や京都からも、よく人が会いにきました。年上の西部邁や加藤尚武、廣松渉なども、寮までよく遊びに来た。

 しかし、ふりかえってみると、付き合いがあったのは、皆年上ですね。中学、高校、実は大学でも、私には哲学や文学の話ができる知的・文学的な同級生がいなかった。今から思うと、大学の寮に、よくあんな人たちが集まってきたなと、不思議ですよ。政治運動のためというより、楽しいから、集まっていたのではないでしょうか。彼ら自身も風変わりでしたし、私にとっても、彼らといる空間は、とても居心地がよかった。

 結局、私は東大で、本郷にあった学部では、経済学部に進みましたが、大学を卒業する時点で、もう経済学をやる気がなくなっていました。そのころ、私の関心は経済学とか、政治学とか、哲学とかいった既成の学問にはなくて、それらの根底にある何かを考えたい、と思ったのです。文学批評ならそれが実現できると気づき、学部で一年留年をして大学院の英文科へと進んだ。それから本格的に批評を書き始めるようになりました。

2023.06.20(火)