インドから日本へ――飛天の源流と伝播
ヘレニズム文化の影響を受け、ギリシャ彫刻のような顔立ちに大きな翼を持ったガンダーラの飛天たちは、ルーヴル美術館に展示された「サモトラケのニケ」を思い起こさせるし、中国の石窟寺院の壁画には、仏教とは異なる中国古来の神話世界の怪獣や神仙たちと共に、インドとは違った着衣の飛天が舞っている。そして時代が下り、唐代に至ると、写実的な、豊満で人間らしい飛天を支えるためか、力強く湧き立つ雲が描かれるようになる。
仏教が日本へ公式にもたらされたのは6世紀前半頃。もっとも古い飛天の例は法隆寺に見ることができるが、会場には中でもよく知られた金堂壁画(模写)の、隋・唐以前の様式を残し、ゆったりと天衣をなびかせて浮遊するような飛天の姿や、身体を伸ばして飛行するのではなく、蓮華座上に座った姿で現される、金堂天蓋に取りつけられた木彫の飛天像などが、日本古代の飛天像として展示されている。
平安時代以降は、浄土教の盛行とともに、極楽浄土で美しい声を響かせているという、上半身が人で、下半身が鳥の「迦陵頻伽(かりょうびんが)」や、極楽往生を遂げる人を迎えにやってくる(=来迎)阿弥陀如来の周囲で花を撒き、楽を奏する菩薩、その周囲を飛行する飛天などが、曼荼羅や浄土図、そして極楽を3Dで現世に再現しようとした阿弥陀堂の装飾として描かれ、あるいは木彫で作られていった。その精華が平等院鳳凰堂だ。
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2013.12.14(土)