ある時、パーティに出席したゲストが、寛が散らし寿司を食べているところを目撃。医者に控えるように忠告されているのではないかと心配すると、「これは酢で味付けしているから米じゃない」と訳の分からぬ理屈を捏ねて食べ続けていたほどだった。
「食べ方も汚かった」と門井氏は続ける。「評論家の小林秀雄は若いころ、大いに菊池寛の世話になった人物ですが、その小林にして、この人は飯粒を顔に付けないで弁当を食べることができないのだろうか、と呆れていたといいます」
食べ方の無頓着さについては、こんなエピソードも残っている。
アリがたかる菓子を口に入れ…
服のポケットなどに菓子を投げ込んでいた寛は、将棋を指しながらポリポリやっていたのだが、当然、ポケットの塵などが菓子に黄な粉のように付着してしまう。それでも平然と口に放り込んでいたという。酷いときなどは、アリがたかっている菓子をそのまま口に入れることすらあった。それを見た友人が驚いて注意すると、「アリは毒じゃないよ。キミ」とのたまってそのまま食べてしまったそうである。
どれも思わず眉を顰めてしまいそうなものばかりであるが、関係者による、それらのエピソードの披露ぶりに非難めいた調子は感じられない。それどころか、語り口の向こうに笑顔すら見えてきそうなのである。
門井氏はこう分析する。「菊池寛は自分が得たものを自分のためだけに使う人ではありませんでした。周りのために惜しみなく使ったのです。食べるにしても、美味しいものがあれば色んな人に食べさせ、自分も一緒に食べる。皆でワイワイ楽しむというのが寛の流儀でした。若い、金のない作家にも、好きなもの食べなさい、と」
菊池寛に“世話になった”作家たち
過剰な食への執着は間違いなく寛の欠点であるが、同時に、作家として、社長としてのチャームでもあったのだ。前述の小林秀雄はもちろん、芥川龍之介や川端康成など、菊池寛に“世話になった”作家、編集者は枚挙にいとまがない。直木三十五などは、借金苦にあえいでいた無名時代に「文藝春秋」で書き物の仕事を寛から得、文字通り「食わせてもらっていた」時期さえあった。
2023.06.01(木)
文=「第二文芸」編集部