「当編集部では持ち込みの原稿の題は編集部でつける慣例になっています」
依頼原稿ではないとはいえ、己の原稿を「持ち込み原稿」と切り捨てた中央公論社に怒りの収まらない寛は、ひとり編集部に乗り込み、編集長の頭を殴ってしまった。あまりのことに呆気に取られていた中央公論社の社員たちが気づいたときには、寛はすでに逃走してしまっていたという。
友人作家の名を騙り、自作解説
現在でも版を重ね、新潮文庫に収められている菊池寛の初期代表作を収めた短編集『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』の文庫解説には「吉川英治」とクレジットがある。
曰く、「この集には、菊池寛の初期の作品中、歴史物の佳作が悉く収められている。これらの作品を見ても、菊池氏が、リベラリストとして、その創作によって封建思想の打破に努めていたことがハッキリするであろう」「およそ大正から昭和の初めに当って、菊池氏の作品ほど、大衆の思想的、文化的啓蒙に貢献した作品は少ないと、いってもよい」と、あの吉川英治が絶賛である。
さすが、「文豪・菊池寛」と思うところだろうが実は、この解説を書いたのが他ならぬ菊池寛自身だったとしたらどうか。
戦後間もない頃に刊行されたこの本の解説について寛は、「自分が書く。解説文は第三者でなければならないのなら、吉川英治の名で出す。吉川君にはぼくから話しておく」と語ったという。文庫刊行の際に「文庫版のあとがき」として作者が作品解説のようなことをすることは少なからず見られるが、堂々と「解説」と銘打ち、しかも友人とはいえ同じ作家の名前を使うなど前代未聞、空前絶後だろう。担当編集者、そして吉川英治の驚きと困惑の顔が目に浮かぶようである。
菊池寛が「追い込まれた」わけ
このほど、菊池寛の生涯を描いた『文豪、社長になる』を刊行した直木賞作家・門井慶喜氏はこの解説を読み、「これは確かに菊池寛の文章ですね」とした上で、寛の胸の裡をこう推察する。
2023.06.01(木)
文=「第二文芸」編集部