大正・昭和の大ベストセラー作家であり、昼ドラ「真珠夫人」の原作者などとして知られる菊池寛は同時に、文藝春秋社の創業者でもあったことをご存知だろうか。文豪にして社長というと、とてつもない偉人というイメージを持たれるかもしれないが、素顔の菊池寛はその対極にいた。

「フライデー襲撃!」ならぬ「中央公論社襲撃!」で編集長を殴ったり、自著の解説を他人名義で書いたり、吐くまで食べ、吐いても食べるほど、食に執着したり……。破天荒といえば聞こえはいいが、はた迷惑と思われても仕方のない、ダメ文豪、ダメ社長ぶりを物語る逸話は数知れず。

 作家や編集者仲間が残した、そんなダメぶりを物語るエピソードの一部をご紹介する。

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元祖「フライデー襲撃事件」

 著名人が出版社に怒鳴り込んだ事件と言えば、ビートたけしの「フライデー襲撃事件」が有名である。しかし、そのはるか半世紀以上前に、菊池寛はほとんど同じような事件を引き起こしている。

 すでに押しも押されもせぬ大ベストセラー作家であり、文藝春秋社の社長でもあった寛が、単身で中央公論社に乗り込み「婦人公論」編集長を殴ったのは昭和5年8月のことである。発端は、「婦人公論」に掲載された「女給」という小説だった。

 その物語は、カフェーの女給をしていたある女性から聞いた身の上話を基にして書かれてあったのだが、そのなかにとにかくモテない男が出てくる。それが明らかに菊池寛と思しき人物なのである。作者は寛に配慮してか、「男」を一応は詩人としていたが、掲載媒体の「婦人公論」の方では、新聞広告に「文壇の大御所」とでかでかと書き立てた。当時、「文壇の大御所」と言えば菊池寛に決まっていた。

 寛は、その女性の話は本当ではない、と穏やかな抗議の原稿を送ったのだが、「婦人公論」はあろうことかその原稿に「僕と『小夜子』の関係」(「小夜子」というのが小説のヒロイン)と意味深なタイトルをつけて掲載してしまったのである(当時の中央公論社内に、作家業と会社業の両方を成功させた菊池寛への妬み嫉みがあったそう)。怒りに火のついた寛は編集部に電話で抗議したが、編集部はにべもなかった。

2023.06.01(木)
文=「第二文芸」編集部