誰かに訊いてみる手もあろうというので、ほぼおなじ世代の小林亜星さんに電話をかけてみる。一晩考えさせてくれという。気軽には答えられないというのである。思案するだけ理屈っぽくなってつまらないからと即答を迫ったら、専門家はしばらく唸って「アラビヤの唄」かな、と独り言みたいに呟いた。はじめて覚えた流行歌で、それから今日まで、何かにつけて一人で歌いつづけているそうである。なぜかと言われると困るけど、やっぱり「アラビヤの唄」だそうである。《砂漠に日は落ちて/夜となるころ/恋人よなつかしい/歌をうたおうよ……》。フィッシャーという人の曲で、わが国では二村定一が昭和のはじめに歌っている。亜星さんが聴いたのは昭和十三年ごろ、五つか六つのとき新宿のカフェだったというから、そんな子供のころから、そんなところへ、とびっくりしたら、叔父さんがカフェを経営しているきれいな女の人といっしょになって、ときどきお父さんに連れられて行ったのだと聞いて安心した。亜星さんによれば、そこできれいな女の人が注いでくれたシャンペン・グラスのオレンジ・スカッシュが一生を決めたという。赤い灯、青い灯と白粉の匂い、そして行くたびに手巻きの蓄音機から流れていた「アラビヤの唄」、これが人生だと思ったというから恐ろしい五歳の童子ではあるが、なるほどとも思う。亜星さんの華麗な人生のどの刻にも似合うように思えるのである。どっちが先かは判らないが、亜星危うしの報せを聞いたら、「アラビヤの唄」を持って駆けつけよう。

 というわけで、これからいろんな友達にも質問しながら、〈マイ・ラスト・ソング〉を探してみよう。五十年と言えば半世紀である。何かに追われるように、心ばかり急いて走ってきたような気もする。たいした節目もなく、うろうろ迷いながらきたような気もする。もしかしたら、最後の歌を尋ね歩くことで、その辺がいくらか見えてくるようにも思えるし、人生というものはそれほど簡単なものではないとも思う。結局は、最後の一瞬、とにかく帳尻を合わせなければならないときになって、何かが判るのだろう。

2023.05.12(金)