ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第4回。今回は澤部さんが前から通っている、通好みのお笑いライヴ「グレイモヤ」になぜか出演することになったお話です。
恵比寿にあるクラブ「BATICA」の12周年イヴェントの一環として、東京のいま一番ヒップなお笑いライヴ「グレイモヤ」をBATICAにて開催する、という4月4日の「グレイモヤ」特別編への出演オファーが舞い込んで来た。2019年の2月に初めて行って以降、都合がつけば必ず行っていた大好きなライヴだったので、まさか自分がグレイモヤの名のもとに演奏をする日が来るなんて思いもしなかった。驚いた。嬉しい。名誉だ。そしてめちゃくちゃ怖い。
グレイモヤについて説明しておきたい。お笑いのライヴにはいくつかのフォーマットというのがある。一番多いのは【オープニングのトーク / 前半のネタコーナー / それを受けてのトーク / 後半のネタコーナー / エンディングのトーク】といった段取りではなかろうか。トークのコーナーでは、芸人の素顔が見えるようなこともあれば、ネタの鋭さを補ったりする瞬間もあり、お笑いが好きだとそういう部分に醍醐味を感じて、劇場に通ったり、その芸人をより好きになったりする。しかし、グレイモヤはオープニングトークもエンディングトークもない、ネタだけのライヴ。だからこそ妙な緊張感があり、ウケれば爆発音のように笑い声がこだまする、ストイックなライヴなのだ。
3月25日にスカートの『SONGS』ツアーが素晴らしい形で終わったその瞬間から私は「さあグレイモヤどうしたもんか」と思いを巡らせ始めた。まず、どのような態度で臨むべきなのか。お笑いのお客さんが多いのは目に見えている。普段の私ならそういう場では「はじめましてのごあいさつ」を心がけるようにしているのだが、しかし問題は、そこがグレイモヤだという点だ。トーク要素が全くないグレイモヤで「はじめましてのごあいさつ」をするべきなのか、しないのか。私は大いに揺れていた。「グレイモヤ観に来た人ににこやかにライヴやってどうすんの?」という私と、「初見の方だっていっぱいいるはずだ、普段やるようなライヴを心がけるべき」という私の間で翻弄されていたのだ。
今までもスカートのことを全く知らない人たちの前でライヴするようなことも何度かあったが、過去の事例と照らし合わせても、こういう質感のアウェイは経験したことがなかった。自分の経験でかろうじて一番近いと思えるものは、2022年5月に行われた小林私さん、betcover!!の柳瀬二郎さんと言った干支ひと回り年下のミュージシャンと共演した『#UDSF』というイヴェントだろうか。弾き語りのライヴは通常、歌詞カードをめくりながらその場その場で演奏する曲を決めていくことが多い。バンドは練習しないとステージに立てないけれど、弾き語りとなったら別だ。恥をかくのも自分だけなので気楽にやれる。その日の私はお笑い的にいうと「かかって」いた。若者に、若者を観に来た若者に舐められては困る、とその日のライヴは事前にセットリストを決め、ほとんどMCをしなかった。バンドでやる熱量を両腕に携え、あの居心地の悪かった若かった頃の自分と向き合い、演奏すると、その日のステージは手応えのあるものになった。あの日の体験を参照しようと決め、選曲を始める。『#UDSF』出演の際はアコースティック・ギターの弾き語りだったが、『SONGS』ツアーのダブルアンコールをエレキ・ギターの弾き語りでやった手応えも反映できたら、とエレキ・ギターによる弾き語りを選び、選曲を終えた頃、もう一度疑問が降りかかってくる。「それでいいのか?」。随分悩んで通常の弾き語りでやるようなその場でやる曲を決める方法も選択肢として残しておくことにした。私は「怖気づいたのか?」、「あの場でかますことを諦めるのか?」とその瞬間は思っていた。
2023.05.03(水)
文=澤部 渡
イラスト=トマトスープ