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英米の父親が理想のモデル

 以上のふたつの特徴から容易に推測できるのは、初期の『FQ JAPAN』においては英米の父親が理想のモデルとなっていることである。たとえば、「BUGGY DAD STYLE SNAP ロンドンはDAD×バギーが当たり前!」という記事では、ベビーカーを押すロンドンの父親たちの写真とともに、「『バギーは母親が押す』というイメージは、どうやら日本だけのものなのかも」しれないと記されている。

 また、「愛されDADストーリー」という漫画では、リバプールへの単身赴任から帰ってきた父親(「パパじゃありまセーン! ダッドと呼びなサーイ!」という台詞が印象的)が家事と育児に目覚め、妻を喜ばせる。日本の父親は英米の父親に比べて「遅れて」いる─そんな決まり文句が、初期の『FQ JAPAN』からは透けて見えてくるようだ。

 ところが、すでに論じたとおり、イギリス版『FQ』のなかで取り上げられていたのは「進んでいる」とはとても思えない父親たちの姿であった。初期の『FQ JAPAN』における美化された英米の父親像は、現実を反映しているとは言い難い。

 あるいは、初期の『FQ JAPAN』においてはイギリス版『FQ』の軽いノリが引き継がれていると言うことも可能である。創刊号と第2号のキャッチフレーズ─「BE A COOL DAD 父親を楽しむ」、「THE DAD LIFE IS FUN!」─に共通しているのは、父親であることは「楽しい」ことであるということだ。「イクメン」という言葉の「軽さ」についてはすでに指摘したが、初期の『FQ JAPAN』には同じ問題が通底しているように思われる。育児のポジティブな側面ばかりが強調されるとき、その大変さは見過ごされてしまう。育児が「ケア労働」でもあることが、隠蔽されてしまうのである。父親が育児の「楽しい」部分を担当している一方で、その「しんどい」部分を担っているのは誰なのだろう?

 ところが、英米の父親を理想化し、育児の「楽しさ」を強調する編集方針を、『FQ JAPAN』は徐々に見直すようになる。象徴的なのは、英米のセレブが表紙に起用されることが徐々に減っていったことである。2015年半ばまでの35号のなかで日本人が表紙を飾ったのは、一度だけ。対して、その後2022年の65号までに日本人が表紙となったのは18回。

 この変化の理由として考えられることは、いくつかある。実際的な問題としては、イギリス版『FQ』のオンライン化(また、それに付随した予算の削減)に伴って、知名度の高い著名人のインタビュー記事が減ったという事情があるかもしれない(初期の『FQ JAPAN』における海外の著名人のインタビュー記事は、『FQ』の記事を翻訳し、加筆したものだった)。

 ただおそらく、より本質的な要因は、良い父親であることを公の場で積極的にアピールする著名人が日本において増えたことである。英米のセレブたちが父親雑誌の「顔」となる時代は終わり、「子育てをする父親」といえば、より身近な芸能人のことを思い浮かべられるような環境を、私たちは生きている。

2023.04.17(月)
文=関口洋平