もの選びでも、キャリアでも、縁を大切に結んでいく生き方
2017年のDAMDAMの立ち上げから5年。この3月には、「ビタミンC+ヒアルロニックセラム」が発売されました。次々と新しい製品を世に送り出すバイタリティはどこから来るのでしょうか。ジゼルさんが、シンガポール版「ハーパーズ バザー」の編集長を務めていた頃まで遡って聞いてみました。
「『ハーパーズ バザー』の編集長時代は、ファッションウィークシーズンには世界各地を飛び回っていました。ハイブランドコスメのサンプルがひっきりなしに届くので、次々と試しては記事にして。でも、いつしかお肌が荒れてしまったんです。それから、できるだけシンプルでお肌に負担をかけない化粧品は何かというのを、真剣に考えるようになりました」
じっくりと自分や自然と向き合っている今のジゼルさんからは考えられないような、慌ただしくも刺激的な生活を送っていたことに驚きます。
「とてもやりがいのある仕事でしたが、仕事以外の人生もちゃんと生きようと思って、2015年に退職してフィリップのいる日本に移住しました。故郷のフィリピンはもちろん、シンガポールや台湾など、仕事でアジア各国に行ったことがあったので、日本も同じような感じだと思っていたんです。ところが、全然違いました。日本語が話せないと買い物すら満足にできなくてショックでした。これまでのキャリアがなくなってしまったように感じて、まるで自分が赤ちゃんに戻ったみたいに心細くなりました。だからこそ、自分自身のためにもう一度何かを始めようと思ったんです」
ジゼルさんの言葉を受けて、フィリップさんが続けます。
「DAMDAMを始めるにあたってジゼルが作った企画書は、96ページもあったんです。米ぬかやこんにゃくなど日本独自の素材を使う、日本製にこだわったスキンケアの提案でした。そこから2年かけてローンチにこぎつけたんですが、その間、彼女は日本語学校に通って日本語を勉強していました。でも、途中でDAMDAMの仕事が忙しくなって断念せざるを得なかったんです」
そう聞いて深く納得したことがあります。無農薬栽培のしそ、信楽焼の土鍋、無印良品のバスケット、どの話を聞いていても、ジゼルさんが日本を深く知っていることが伝わってきました。ジゼルさんが日本のプロダクトや生産環境に向ける目は、外国人旅行者のものではなく、日本国内に根を張った人のものでした。ジゼルさんにとってDAMDAMは、日本語というツール以上に機能する、最良のコミュニケーションツールになったのではないでしょうか。
ふたりがこれまでの経験や知見を活かして始めたDAMDAMは、古民家のリノベーションや愛用するカンタにも通じる、甦りのプロジェクトなのだと直感しました。ジゼルさん自身のキャリアをベースに、日本に古来伝わるしそ、さらには日本の産業に新たな価値を与えて再生する、時間と労力のいる尊い仕事です。
これまでのことをなかったことにするわけではなく、ゼロから始めるわけでもなく、別々に使われていた布と布を重ねて糸を通すように、縁を結び付けていく。暮らしの道具の選び方を通じて、キャリアの重ね方、生き方まで見せてもらったようでした。
DAMDAM
Column
達人が惚れ込む
暮らしのMY BEST
暮らし上手な方々が日頃愛用している道具や家具をじっくりと拝見! 選ばれたものたちが、快適な暮らしにどう役立っているのか、その魅力をひもときます。もの選びの参考にぜひ!
2023.03.30(木)
文=松山あれい
撮影=平松市聖