インド洋に浮かぶ秘境 レンバタ島からやってきた奇跡の伝統工芸

 東京スカイツリーから徒歩約10分の「たばこと塩の博物館」では、ただいまインドネシアを代表する伝統工芸「イカット (=絣・かすり)」の展覧会を開催中。しかも、これまでとはひと味違う趣向で、民藝などの手仕事好きはもちろん、民族学マニア、アジア旅行好きも魅了する内容で話題を集めています。

 「インドネシアの絣・イカット ~クジラと塩の織りなす布の物語~」と題した今回の展覧会。1990年代から約30年にわたってインドネシア東部のレンバタ島を訪ね、独自の研究を続けてきた民族考古学者・江上幹幸 (えがみ・ともこ) さんが蒐集した貴重なコレクションがベースとなっています。

 インド洋に1万7000以上もの島々が浮かぶインドネシア。そのひとつであるレンバタ島のラマレラ村は、近年まで陸路でのアクセスが難しく、船でしかたどりつけなかった秘境。そんな隔絶された土地だからこそ、古くからの暮らしが奇跡のように今に受け継がれています。

 「約400年前から今に至るまで、手漕ぎの木造帆船と手投げの銛でマッコウクジラを捕獲する伝統捕鯨が海の民によって行われてきた、世界でただひとつの場所です」と江上さん。

 一方、ヤシの木が生い茂る島の内陸部には、畑作を営む山の民が暮らし、「人々は糸を紡ぎ、豊富なヤシの葉の紐で括ったあと、天然染料で染め上げる絣 (かすり) の織物 “イカット” が伝統的につくられてきました」。

 やがて山の民のイカットづくりが海の民へと伝わり、極めて珍しい海の民がつくる “海のイカット” が誕生したといいます。ちなみにインドネシアでも、海の民によるものはラマレラ村のほかに例を見ないとのこと。まさに、唯一無二の伝統工芸なのです。

 しかし、海ではイカットの素材となる綿や藍などの染料は採れません。そこで大きな役割を果たしてきたのが、海の民と山の民との間の交易。

「海の民には鯨肉や海塩のほか、藍染に欠かせない石灰があり、山の民には農産物のほか、綿や染料となる藍や茜があります。“モガ” とよばれる伝統的な交換レートでの物々交換が、21世紀の今も行われています」

 そんな暮らしが、今この瞬間も変わることなく息づいているレンバタ島のラマレラ村ですが、古くから子供の教育に熱心な土地柄でもあったそう。

 「村人は、訪れる人にイカットを売り、その唯一ともいえる現金収入を子供たちの教育費用に充ててきました」と江上さん。島からは、文化や学術の世界で活躍する著名人も輩出してきたといいます。

 ラマレラ村を訪ね、子供の教育のために現金が必要であると知り、イカットを購入するようになったという江上さん。

「人口2000人ほどの漁村ですが、それぞれの家でイカットづくりが行われています。この約30年間で、すべてのおうちから数枚ずつイカットを買っていると思いますよ」

 これまでにレンバタ島で江上さんが蒐集したイカットの数は、なんと700枚以上。

 今回展示されているイカットコレクションには、「どの家の子供たちも等しく教育が受けられるように……」という、江上さんの思いが込められているのです。

2023.02.22(水)
文=矢野詔次郎
写真=橋本 篤