ページをめくるとさまざまな人の心が切り取った情景が目に浮かぶ

 穂村さん以降といわれる世代の歌人の活躍で、以前より身近な存在になったとはいえ、まだ敷居の高いイメージも残る短歌の世界。もっと気軽に短歌の扉を開くコツはあるのだろうか。

 「短歌はかつてのように文語体でなく、自分が感じたことを日常言語で表現していいというジャンルになっていますが、一番の障壁は、そういうジャンルになっているという事実が周知されていないってことじゃないのかな。今の教科書には僕とかの歌も載っているけど、僕らが使っていたような教科書だと、文語体の和歌や近代短歌ばかりが載っていて、そうするとある意味逆効果っていうか。壁を感じさせる作品を最初に見せられるので、『あ、短歌ってこんな難しいんだ』っていう感じになるよね。

 最初に出合ったものが、例えばこれなら、ほとんど短歌だって気づかないんじゃないかな。

本当はメロンが何かわからないけどパンなりにやったんだよね
砂崎柊(1994~)「短歌ください」(「ダ・ヴィンチ」2021年8月号)

 『メロンパンとメロンは似てない』っていうことに気づいた時に、それをどう感じて表現するかには当然個人差があって。『全然似てない』ってそのまま言う人もいるけど、この人の『本当はわからないけど、パンなりにメロンをやろうとしたんだよね』っていう見方が、僕はすごく面白いし優しくて魅力的だなって思ったんですよね。あ、メロンが何か知らないんだ、って。パンはメロンと会う機会ないもんね。この本に掲載したのは一首だけだけど、この歌を見ると、この人が他に何を言ってるのか知りたくなる。SNSであればフォローしたくなると。

 それから、こんな歌とか。

このからだ誰が見る訳でもないと二度言う人に誰も答えず
橘高なつめ「日経歌壇」(2017年5月6日)

 この目に浮かぶ気まずさっていうか、いるよね、こういうこと言う人って。こんなの反応できないじゃん。『いや、そんなことありませんよ』とか言えないし、なのに二度言うと。でも二度言われても答えようがない。これのもうちょっと普通のバージョンだと、『いくつに見える』とか聞く人がいるけど、あれも嫌な質問で、でもそれだとまあ、想像の範囲内っていうかね。

 ただ、厳選された百人一首みたいな感じだと、この歌は多分入らないと思うんだよね。同じ作者でも、もっと素敵な歌って当然あるわけで。でも、素敵な歌ばっかり100首あっても、すごい高いチョコレートを100個連続で食べても味がしないのと同じことになるんだよね。だからそうならないように、ランダム感があった方がいいなっていう。

 まあ、人によって短歌慣れとか、読解力に差があるから、この本をパラパラ見て引っかかるものがやっぱり違うと思うんですよね。それに同じ人でも、甘いもの食べたい時と、しょっぱいもの食べたい時があるはずだから」

 一冊を通読すると、さまざまな時代、さまざまな人の心が切り取った情景が、次々に鮮やかに現れるようで、三十一文字の力を改めて感じさせられる。

 「着ぐるみみたいにその人の中に入って、世界をその人の視線で見るみたいな、そういう特性が短歌にはちょっとあるよね。死刑囚の中に入って世界を見たらこう見えるのかとか、7歳の子どもに戻って世界を見たらこう見えるんだみたいな。宮沢賢治は看護婦が好きなんだな、とか(笑)。

思ひがけぬやさしきことを吾に言ひし()の人は死ぬ遠からず死ぬ
安立(あんりゆう)スハル(1923~2006)『この梅生ずべし』

 この人は大正生まれの歌人だけど、これは今で言う『死亡フラグが立った』ってことじゃん、みたいなね。この時代にはそんな言葉はないんだけど、今ある感覚をもう60年ぐらい前に先取りして感受してるんだよね。そういうのが発見できて面白かったりとか」

 目の前に出てきた歌に「わかる、わかる!」も「わからない」も、どちらも面白い、偶然まかせの短歌との出合い。一日一回でも、好きなだけ続けても、自由自在にガチャポンを回して楽しんでほしい。

穂村 弘(ほむら・ひろし)

歌人。1962年札幌生まれ。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。評論、エッセイ、絵本、翻訳など様々な分野で活躍している。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『世界音痴』『もうおうちへかえりましょう』『ラインマーカーズ』他著書多数。2008年、短歌評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017年、エッセイ集『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、2018年、歌集『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。

短歌のガチャポン

定価 1,760円(税込)
小学館
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2023.01.07(土)
文=原 陽子
撮影=釜谷洋史