こんな稲垣吾郎は見たことがない、という感想を、今泉力哉監督で話題を集める劇場映画『窓辺にて』について書くのは少し奇妙なことかもしれない。
今泉監督本人が稲垣吾郎をモチーフにして脚本を書いたと語るように、映画の中で描かれる主人公・市川茂巳は、多くの観客が国民的アイドルSMAPの一員として昔から見てきた稲垣吾郎の面影がある人物造形になっているからだ。
だがそれでも映画を見ながら、稲垣吾郎という誰もが知っているつもりになっていたスターに初めて出会い直したような新鮮な驚きに揺さぶられていた。
実際の「稲垣吾郎」以上に「稲垣吾郎」らしい
かつて映画『十三人の刺客』で狂気の藩主松平斉韶を演じた稲垣吾郎は、イメージを覆すような演技で毎日映画コンクールの男優助演賞を受賞したが、『窓辺にて』の彼は「素で演じている」というのとは少し違うように見える。稲垣吾郎という人物の深い部分、本質にあるものを、今泉力哉監督が肖像画を描くように丁寧に脚本と演出を書き上げた映画は、写真以上に「その人らしさ」をとらえたスケッチのように生き生きとスクリーンの中で輝いている。
そしてそれは『窓辺にて』に限ったことではなく、知っているつもりの街、知っているつもりの日常をスクリーンの中で輝かせる、今泉映画の魔法でもあるのだ。『街の上で』で描かれる下北沢の群像。『愛がなんだ』で成田凌や岸井ゆきのが演じた、叶わぬ恋に身を焦がす若者たち。
目新しいモチーフ、奇をてらった仕掛けがあるわけではない、何度も見てきたはずの風景が、今泉映画の中では初恋のような新鮮さで蘇る。今泉映画は俳優の魅力を引き出す、とよく言われるのは、そうした人を描き、街を描く筆致の繊細さが、最終的には俳優や物語の本来の持ち味を引き出して行くからなのだろう。
『愛がなんだ』を川崎の映画館で見た時、終映後の客席の照明がついた劇場で若い観客たちが席も立たずに映画について語り合うざわめきをよく覚えている。メディアのプッシュでもSNSのバズでもなく、若い観客がそのまた友人を誘うという人から人への口コミで映画は広がっていった。
2022.11.26(土)
文=CDB