監督は、目に見えているもの以上のものを写しとろうとしていたのだと思います。百合子は母親であると同時にひとりの女性でもあり、世間の一般常識では許されない行動をとります。その善悪だけでは割り切れない心の機微を表現するのはとても難しいことでした。監督は、人間の心の奥底から滲み出てくるものを丁寧にすくいとろうと、本当によく粘っていたんです。
長野県諏訪湖で泉と花火を見るシーンの撮影もなかなかOKが出ませんでした。もうヘトヘトで肉体的にも精神的にも限界を迎えて。ふと空を見上げたら、溝口健二監督、黒澤明監督、私の恩師である演出家の増村保造さんが見守ってくれているように感じました。半分向こうの世界に行っていたのかもしれません(笑)。それで、あ! 頑張ろうと思って、もう1回撮影したらOKをもらえました。カットがかかった瞬間、泉(菅田さん)の胸で号泣していました。
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「原田美枝子『百花』黒澤明と増村保造の教え」全文は、「文藝春秋」2022年10月号と「文藝春秋digital」に掲載しています。
2022.10.05(水)
文=原田美枝子