出産後は翻意し自分で育てることを選んだが、ひとりで育てる生活は程なく行き詰まり、赤ちゃんは児童相談所に一時保護された。赤ちゃんを愛していることと、実際に二人で暮らすことができるかは別の話だ。経済の問題、虐待のトラウマなど、複数の要因が複雑に絡まり、彼女を苦しめた。そんな彼女の孤独な育児に対し、周囲の助けはあまりに細く薄かった。

 ゆりかごの取材を通して出会い、話を聞かせてくれた彼女たちは未成年で出産している。二人とも親からの虐待を受けて育ち、予期せぬ妊娠を誰にも相談できず孤立していた。妊娠した彼女たちに対し、もう一人の当事者であるはずの男性たちは逃げた。

 スクリーンの中の若い女性は、ゆりかごの取材で出会ったまだあどけなさの残る女性たちの困難な人生を代弁していた。

赤ちゃんポストは“母親を甘やかす箱”なのか

 再び映画に戻ろう。

 若い母親と接触し、中絶をしなかった訳を聞いた女性警官が「中絶すればよかっただなんて、赤ん坊に向かって言えるのか」と反論され絶句するシーンがある。

 自分で育てられないのになぜ中絶しなかったのかという女性警官の問いの立て方は、命の誕生を条件付きでしか認めていない社会そのものだ。映画は無言のうちに訴える。命を無条件に受け入れるために変わるべきは社会の側ではないのかと。私自身、これまでの取材で何度も女性警官と同じ問いが頭に浮かんだことを打ち明けなくてはならない。

 全身で妊娠を受け止め胎児の成長を守る過程で女性の心は複雑に変化する。レイプによる妊娠であっても胎内の命に愛情が発露する人もいるという。他方、相手が恋人であっても親になる実感が湧かず、出産後も愛情を持てない人がいる。予期せぬ妊娠に立ち尽くす女性たちの葛藤に対し、私たちは鈍感過ぎるのかもしれない。

 根っこにあたたかさを隠したブローカーたちとの深刻なようで陽気な旅を通して、女性は少しずつ二人への親愛を深めていく。また、彼女の犯した過去の罪は、むしろブローカーたちと彼女の絆を深める。

2022.07.25(月)
文=三宅 玲子