「真実はひとつ」も、昔からドラマなどでよく言われますが、それもずっと違和感がありました。なので30年くらい前にそれをテーマに短編『X‒DAY』を描いたりしてます。AとB2人の少女間で起こった一つの事件をAから見たバージョンとBから見たバージョンに分けて描いたんです。どちらも素直で全く悪意がなくても食い違う。現実でもそうだと思います。あらゆる戦争、紛争でしたこととされたことは合致しません。1人1人が見たものが違うから、それを真実だと信じるしかないから。

 

 ニワカですが哲学者のニーチェは、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」と言っていますが、誰もが自分なりのとらえ方で物事を見つめています。人は主観でしかものを見られない。神のような第三者がいないと真実はわからない。肝に銘じようと思ってます。

 わたしの作品に対しても、感想は読んでくださった方の数だけあります。それは普段何を見て、何を意識しておられるかによって変わるんだと思います。マンガは、描くときには色々思惑を込めるものですが、一旦出てしまえばどう読まれても構わないと思ってますので、読む方それぞれの楽しみ方で開いていただければ嬉しいです。

カフカ『審判』をマンガに

 また、『自省録』のように、わたしが好きなものもたくさん入れ込んでいます。ナポレオンの言葉、谷川俊太郎先生の詩、「山賊の歌」なんかも……。文学が好きというより、わたしは言葉そのものに強い興味があるみたいです。

 懐かしい話ですが、高校生のときにカフカの『審判』を読んで16ページほどの短編マンガを描いたことがあります。コロナ禍でブームになったカミュの『ペスト』も島崎藤村の『破戒』も当時マンガにできないか考えたりしました。山岡荘八の歴史小説『織田信長』『徳川家康』を読んでは信長を描きたいと思い……これは後に少し描いてみたりしました。自分はこう言う目線で本を読んでしまうようです。

2022.06.30(木)
文=「文藝春秋」編集部