「アーーーー」という均一語の叫びは、日本語と英語で同じ音の台詞があったら面白いなと思って書いた箇所で、実際、私とパフォーマーの方の朗読が全然違っていて面白かったです。
他の方の朗読を聞いていたのですが、私は英語も得意ではないので内容をちゃんとわかっていなくて、再会したアダニヤさんは「沙耶香は一番奇妙なものを書いてたよ」と言って笑ってくださいました。
今は「罪」に興味があるんです
それが叶えばいいという気持ちはずっとある。けれど、私は、「多様性」という言葉をまだ口にしたことがほとんどない。
――「気持ちよさという罪」は「多様性」という言葉についてのエッセイです。この言葉の持つ暴力性に誠実に向き合った文章だと感じました。
村田 私は強く多様性を願っていますが、同時に、「個性」という言葉が怖かったときのことは忘れたくないなと思っているのだと思います。「多様性」をテーマにと依頼を受けて、そのときの全力で考えてることを書いたものですが、これを書いたことをきっかけに自分の罪や加害というものに興味がわいてきました。
――今年「新潮」で発表した「平凡な殺意」は、加害性をめぐるエッセイでしたね。
村田 そうですね、まさに加害について書きました。もちろん被害の面も大事ですが、今は加害そのものや加害に加担してしまうこと、その罪にとても興味があります。私は、自分自身を、小説を書くために世界に置かれているだけの人間だと思っていて。その人間についているカメラを通じて世界を眺めたり、その人間に起きた心の反応をデータとしてとっておいたりする感覚があります。その人間が、すごく凡庸で、浅はかで、愚かなのが、書くためにかえって利用できるような気がしていて。
こういうテーマのエッセイを書くときは小説と違い、さらに直接的に、その人間を解剖して切断面を見て分析しているような感覚があります。罪の部分を切ったときの面を見てみたいし、言語化してみたいと思うようになりました。そういう自分の願いのようなものが、このエッセイには表れているような気がします。
2022.06.17(金)
文=竹花帯子
撮影=佐藤 亘/文藝春秋