「誰とも共有できないことをなんとか表現して、共有することが演劇なんじゃないか」
――2012年に岸田國士戯曲賞を受賞されて以降、マームとジプシーという名前に込められていたように、いろんな土地にツアーに出る機会も増えられています。ただ作品を持って旅公演をするだけじゃなくて、知らない土地と出合って、そこで作品をつくるということは、どんな経験だったんでしょう?
今、ちょうど思い出してたんですけど、2011年あたりから任せられるようになったミッションは、自分の規模では測れないことを求められるようになっていった気がしていて。たとえば北九州に滞在制作をすることになったとき、プロデューサーから「この街を描いてほしい」ってことを直接言われたんだけど、そこには自分が住んでいた伊達って町の規模では測れない何かがあって。
北九州と新潟、それにいわきと深く関わるようになって、この土地でいう海って響きは、伊達とは全然違うんだろうなってことを知ったというか。最初はツアーをすることがミッションだったところから、その土地を知るってことも自分の仕事だなと思うようになったのがこの10年ですね。
――この10年で藤田さんが出合った土地のひとつに、沖縄があります。ひめゆり学徒隊に着想を得て、今日マチ子さんが描いた漫画『cocoon』を、2013年と2015年に舞台化されて、現在は沖縄をモチーフにした新作「Light House」の稽古中だと伺いました。藤田さんにとって、沖縄を描くということはどんな位置付けにあることですか?
沖縄に行くたびに思うのは、「知らないことって、あっちゃ駄目なんだろうな」ってことなんだけど、全部知るってことは不可能だと思うんです。「cocoon」で戦争を描くとなったときに、戦争にまつわることは全部知っておかないとと思って資料を集めたし、戦跡も歩いてみたんだけど――ここで最初の話にちょっと戻るんだけど――いくら集めても、それって「素材」なんです。
本に書かれていることや、映像で知れることってたくさんあるんだけど、それを僕が改めて表現したところで「その本を家で読むよ」ってことにしかならないと思うんですよね。
――たしかに、事実を事実として伝えることだけが目的であれば、演劇というフィクションを立ち上げなくても、資料を読めば事足りることでもありますね。
もちろん、「知る」っていうベースの部分がないと、ただふわついたファンタジーを描くことになってしまうんです。ただ、自分の足で歩いたときに感じた、誰とも共有できないようなものをどうにか表現して、劇場まで足を運んでくれた人たちと共有しようとするのが演劇なんじゃないかと僕は思っていて。
沖縄を描くにあたって、知っておかなきゃいけないことが膨大にあるから厄介だな、と思う部分もあるんだけど、一方で不思議な感覚もあって。沖縄に行ったときのことを思い返すと、「あの時間はよかったな」と思う時間が多いんです。それは風景だけじゃなくて、夜が楽しみになるような夕暮れの感じとか、そういう感覚が起こりやすい島だから、すごく惹かれるんですよね。
「カフェにお茶を飲みに行くように、劇場に足を運んでもらいたい」
――この2年は、コロナの影響で、どこかに足を運んで何かを感じるってことのハードルが上がっていまう。演劇という表現もまた、稽古をするにしても公演を打つにしても、スタッフや俳優、観客を集めないと成立しないもので、以前に比べるとハードルが上がった部分はあるかと思います。そんな時代にあっても、演劇を続けることについて、藤田さんはどんなことを感じていますか?
演劇はもう、コロナ禍以前のシステムを見直していかないと、この表現自体が難しくなってくると思うんです。制作的には公演ができなくなった場合を想定して準備していくしかないんだけど、新作が上演できなくなるって、作家としては精神的にきついんです。今日こうして話しているなかで再確認してるんだけど、僕の中には演劇しか道がなかったんですよね。
それは自分が演劇をやりたいってだけじゃなくて、今まで劇場に足を運んでくれた人たちがいる。そのひとりひとりの顔を思い浮かべると、こんなことで演劇をなくすっていうのはありえないなと思うんです。もちろん足を運べないような状況はあると思うから、タイミングを見て公演を打つ必要はあると思うんだけど。演劇があったから交換できた感情があって、それをやめるのは作家をやめるときだと思っているので、これからも続けていきたいなと思ってます。
――今の時代には、たとえば無観客配信するという形の演劇も出始めています。そんな時代にあっても、藤田さんが劇場にお客さんがやってくることに賭けたいと思うのはなぜでしょう?
それが新作の「Light House」ってタイトルにも繋がってくるんですけど、人はどこかにシグナルを送り続けてないと息絶えてしまうんじゃないかと思うんです。靴を履いて外に出て、誰かに会いに行ったり、どこかに出かけてお茶でも飲んだりしないと、人って死ぬんじゃないかと思っていて。それがお茶なのか演劇なのかってことだと思うんです。僕の中ではお茶と演劇は全然変わらなくて、コーヒーを飲みにいきたいと思う人に向けてカフェって営みがあるように、僕らも演劇を営んでいるだけなんです。
――コロナ禍になって、「不要不急」という言葉が使われ始めたときに、演劇を不要不急のものと見なすような空気もありました。
世の中が表現ってものをその次元で考えてくれてないってことはわかったんですけど、そこでお高く止まってたら駄目だと思うんですよね。だって今、この時代に僕が20代前半だったら、演劇やってないんじゃないかと思うんです。そうなると、いくら僕らが40、50になって頑張ってても駄目なわけで、演劇ってシステムとかつくりかた自体を見直していかないといけないと思うんです。
お茶を飲みに行くように劇場に足を運んでもらうには、表現ってことでお高くとまってるんじゃなくて、カフェがお茶を点てるように準備していかないと駄目なんじゃないかと思っています。
「Light house」
作・演出 藤田貴大
日時 2022年2月4日~6日、2月18日~3月6日
会場 那覇文化芸術劇場なはーと(2月4日~6日)、東京芸術シアターイースト(2月18日~3月6日)
時間や料金の詳細はHPをご確認ください
2022.02.19(土)
文=橋本倫史
写真=平松市聖