作るのが無理な日があるのは当然

 私がいま、自炊とうまくつきあえているのは「作れない日」「どうしても作りたくない日」は必ずあるもの、と気づけたからです。

 気力とか時間的理由とかそういうことじゃなく、もう理由なんかないんですね。人間、毎日毎日同じようなことを続けられるわけはない。オーバーなようですが、これは「悟り」だったと思っています。

 しかしそう悟れるまでは、ときに料理が面倒になる自分を情けなくも感じ、自分を「わがまま」「ものぐさ」とみなしました。私は現在、ふたり暮らしで料理の担当です。料理が家事として日常のタスクになってから、楽しくできる日と、どうにも億劫でつらい日とを行ったり来たり。

 それまでの私は、料理を楽しいものとしか思っていませんでした。

 それもそのはず、気が向いたとき、やりたいときだけやっていたから。趣味としての料理が毎日の義務になって、いろいろ「発見」がありました。

 世の中で「料理がつらい、しんどい」と声をあげている人たちに対して、「そこまでのこと?」「そんなネガティブな……」的に疑問を抱く人の多くは、料理を「日常の義務」として体験していない人。あるいは料理がまったく苦にならない一種の超人たち。

 たまにしか料理しない感覚で、日々の連続作業のことを語られてもそりゃ嚙み合うわけがない。また世の中には「日常のごはん、こうしたらラクラク!」的な記事があふれていますが、それらの多くは料理が大好きで仕方ない、料理が全然苦にならない超人たち(多くは料理研究家)が考えています。

「たしかに時間も手間もかからないレシピだけど……なんか違うんだよな」

 と感じることが、読んでいて少なくありませんでした。

「作りたくないときは、作ってはいけないとき」

 これが、自炊に関して私が得た結論です。無理して作ると、次がもっとつらくなる。ガス欠のまま根性で走り続けるようなものです。「料理=イヤ」という気持ちが雪だるま式に膨らんでしまう。

 作りたくないのは、わがままでも怠け心でもない。週休も給与もない中で毎日作っていれば、ストレスがたまらないほうがおかしい。

 そう思い至り、私はパートナーと話し合いました。

 うちの場合は幸いアッサリと『無理して作ることないよ。もっと早く言ってくれれば』的に終わり、外食、弁当、レトルトを利用しつつ「作らない日」を適宜組み込んでいく、というのがベースに。今思えば一般的によくある形ですよね。でも、そうするのは「手抜き」と自分で強く思い込んでしまっていた。誰かに何かを言われたわけでもなかったのに。

「作らない日があるのも自炊」いや「作らない日があってこそ自炊」と自然に思えるようになれて、今うまく日常の料理とつき合えています。

 さて、先のちぢみホウレン草。安かったのでたっぷり買ってきました(その日の安いもので経済的に料理できるのも、自炊力を持ってよかったと思う点のひとつです)。

 オリーブオイルでじっくりソテーして、塩コショウぱらりのバルサミコ酢をひとふりで、実にいいひと品になります。

 ちぢみホウレン草は買ってきたら大きなボウルに冷水をはって、20~30分ほど浸けてください。そうすることで野菜に張りが戻ります。その後、流水でよく振り洗いして泥を落としてから使ってください。

 今年もちょっとしたレシピ、試してよかったもの、心に残るおいしいものなどを、本コラムでご紹介していけたらと思います。

 どうぞよろしく、おつきあいのほどを。

白央篤司(はくおう あつし)

「暮らしと食」がテーマのフードライター。著書に『にっぽんのおにぎり』 (理論社)、『自炊力』 (光文社新書)など。現在オレンジページ、メトロミニッツ、ハフポストなどで連載中。料理家としても活動、企業へのレシピ提供などを定期的に行う。人物撮影:内藤恵美
http://hakuoatsushi.hatenablog.com/

Column

白央篤司の罪悪感撲滅自炊入門

料理を「作らない・作れない」ことに罪悪感を持っている人に贈る、フードライター・白央篤司さんの金言&レシピ。冷凍食品にちょい足しするのも立派な自炊。簡単なことから始めてみませんか?

2022.01.18(火)
文・撮影=白央篤司