日本のロック史上に燦然と輝く3ピースが生まれて消えるまでの17年間に何が起きていたのか? ジョニー吉長、ルイズルイス加部が天に召されたいま、残されたひとりが語る黄金の日々。これが最初で最後! 2時間にわたる独白をノーカットでお届けする。(文春ムック「竹中尚人責任編集 ロックとギターをめぐる冒険」より。後編はこちら)
衝撃を受けたジョニー吉長の「イエロー」
ミュージシャンとしての自分のキャリアを振り返ってみると、Johnny, Louis & Char(以下JL&C)とピンククラウドで追究していた表現というのは、少しばかり特殊だったのかもしれない。いま聴いても、トリオ・バンドが創り出したとは思えないアンサンブルだと感じるし、もはや“JL&C”としか形容できないような、ファンクもプログレもハードロックも飲み込んだ独特な世界。プリミティブで、モダンで、先鋭的な実験性も兼ね備えていて、日本というマーケットだけにとどまらない可能性を持っていたバンドだったと思う。
マーちゃん(ルイズルイス加部)のことを初めて知ったのは……子供の頃に観た『ヤング720』。朝のTV番組なのに、ザ・ゴールデン・カップスがレッド・ツェッペリンの「コミュニケーション・ブレイクダウン」を演奏していて、俺は驚きのあまり自分の目を疑ったよ。学校に行っても、その衝撃と感動と分かち合える奴がいなくて、もどかしかったことを今でも覚えている。本人と直接話したのはいつだったかもう覚えていないけど、都内のデパートでやっていたカップスのコンサートを観に行った時、会場の前で裸にオーバーオール姿のマーちゃんに声をかけられたことがあるから……おそらくデビューする前にはどこかで出会っていたんだろうな。
ゴダイゴが羨ましかった理由
ジョニー(吉長)は、イエローというバンドで活動していた時に赤坂のMUGENという本場のR&Bバンドしか出られないクラブに出演していて、フロアにいる大勢の黒人に対して「なんとしても踊らせてやる!」と勝負している姿に衝撃を受けた。俺以外の客は全員外国人。ある意味、「海外で勝負している日本のバンド」のようだったね。もし自分がバンドを組むなら「こういう人と一緒にやりたい」と強く思ったよ。実際、俺がデビューする前に「一緒にやろう」とジョニーを誘ったんだけど、ちょうどジョー(山中)とやるバンドでアメリカに行ってしまうタイミングと重なってしまい「残念だけど今はできない」と断られてしまったんだ。
2021.12.18(土)
文=Masaya Bito