天然記念物・橋杭岩にまつわる“あまのじゃく”の言い伝え
串本の水中には、季節があるといいます。夏から秋は、沖縄やフィリピンのようなサンゴをメインとしたトロピカルな風景。冬に入ると、海藻が勢力を増し、温帯特有の風景。さらに紀伊半島の東側は温帯、西側は亜熱帯の傾向が見られ、ひとつの半島にありながら、2つの水中景観を持っています。
また、串本と沖に浮かぶ紀伊大島は、かつて大阪と江戸を結ぶ廻船(貨物船)のルートにおいて要所でした。
廻船は、風を効率よく利用するために、時として、天候や海況が安定するまで待機しなくてはなりません。紀伊大島はそんな“風待ち港”として栄え、全盛の江戸時代には遊郭まであったとか。
その串本と紀伊大島にまつわる言い伝えが、串本の観光のハイライトのひとつ、橋杭岩にあります。
橋杭岩とは、串本の東海岸から紀伊大島にかけて、約850メートルにわたり、大小40もの岩塔が一列に並ぶ景勝地。吉野熊野国立公園地域内にあり、国の天然記念物でもあります。
言い伝えとは、こうです。昔々、弘法大師と天の邪鬼(あまのじゃく)が賭けをしました。串本と紀伊大島を結ぶ橋を一晩で架けられるかどうか、と。
弘法大師が橋の杭をほぼ作り終えたのを見て、天の邪鬼は負けてしまうと焦ります。そして朝だと勘違いさせるために、ニワトリの鳴きまねをしました。すると、弘法大師は時間切れだと諦め、橋を作りかけのまま去ってしまいました。その残された橋脚が、橋杭岩だといいます。
ジオ的にはおよそ1,500万年前にマグマが上昇して泥岩層へ貫入。急速に冷却されて、二酸化ケイ素を多く含む流紋岩を形成。その後、浸食によって、もろい泥岩層が削られ、内部の硬い流紋岩が杭状に残された、とされます。
国道42号を走っていると、突然、橋杭岩が目の前に現れます。しかも写真のイメージよりもずっと陸近くに。おまけに浜へ降りて、磯の生き物に触れることもできます。身近に感じる天然記念物です。
2021.12.04(土)
文・撮影=古関千恵子