1923年、シャネルは英国の最上流社交界にも出入りするようになり、ウィンストン・チャーチルやウエストミンスター公爵、さらにはエドワード8世(当時は皇太子)とも交流するようになります。シャネルはウエストミンスター公との結婚を夢見たようで、こうした華やかな交流は30年代前半も続きます。しかし世界恐慌後の不況で経済は急激に縮小。人々の嗜向も趣味も保守化傾向を見せ、彼女の活動にもかげりが出ました。

 シャネルは映画女優の衣装などにも進出していましたが、大成功とはいえませんでした。そこでは女性らしさを強調する華やかなデザインが求められましたが、それはシャネルの持ち味ではありませんでした。またイタリアの貴族階級出身のデザイナー、エリザ・スキャパレリがシュルレアリスムを取り入れた大胆で斬新なデザインで評判になると、彼女の覇権は揺らぎます。

 1936年にフランスで起きた大規模ゼネストに刺激されて、シャネルのアトリエでもストライキが起こり、従業員との間に深い対立を抱えることになったのも、経済面だけでなく精神的にも大きな打撃でした。

占領下のパリでひとりのナチス将校と恋仲に

 1939年、ヒトラーのポーランド侵攻を受けて、英仏が相次いで対独宣戦布告し、第二次世界大戦が勃発すると、シャネルはブティックは残したもののアトリエは閉鎖しお針子も全員解雇しました。戦争でファッションどころではない時代になったためだとシャネルは述べていますが、ストライキをした「裏切り者たち」への報復だったともいわれています。仕事を棚上げにした彼女はホテル・リッツで暮らし、ドイツ軍がパリに進駐してくると、ナチス・ドイツの外交官や上級将校と交流することになります。

 

 ここでいかにもシャネルらしい出会いがあります。彼女は占領下のパリでひとりのナチス将校と恋仲になるのですが、相手のハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ男爵(外交官で諜報員)は、趣味のいい貴族で、とてもハンサムでした。2人は互いに利用し合う仲でもありましたが、そこに危険な恋の香はしても、占領軍への媚びた卑屈さは感じられません。どんな苦境にあっても、男でも立場でも最上のものを手に入れる──そんなシャネルの強(したた)かさと魅力には舌を巻く思いです。

2021.12.07(火)
文=長山靖生