18歳で孤児院を出た彼女はカトリック女子寄宿舎を経てムーランの仕立て屋に就職、その傍らキャバレーで歌を歌い、騎兵将校たちの人気を得ました。彼女の愛称ココは、彼女の得意曲「ココリコ」に由来するとも、愛人を意味する隠語ココットから来ているともいわれます。芸能人としての成功を夢見た彼女は、リゾート地のヴィシーに出たもののうまくいかず、短期間でムーランに戻り、フランス軍の元騎兵将校で富豪の息子エティエンヌ・バルサンに見初められて愛人になりますが、不安定な立場でした。
バルサンの友人・ボーイ・カペルと急速に惹かれあい…
バルサンは馬好きで、シャネルも乗馬を習い、見事な乗り手になります。その際、彼女は何とズボンを穿(は)いて馬に乗りました。現代では女性の乗馬服もズボンがふつうですが、当時、ズボンは明確に男性の服、女性は乗馬の時にもスカートで横座りするのが当たり前で、ズボンという異性装はスキャンダラスですらありました。しかしそれがよく似合っていた。
ズボンを穿いたこと自体は、上流階級の作法を知らない彼女の無知の産物だったともいわれています。とはいえ彼女は仕立て屋に細々(こまごま)と指示しており、シンプルな男装をかえって女性的魅力を引き立てるように着こなすあたり、この頃からファッション・センスが卓越していたことを示しているでしょう。
バルサンはプレイボーイで、シャネルをやきもきさせましたが、彼女の方も1909年にバルサンの友人ボーイ・カペルと知り合うと急速に惹かれていきます。カペルはハンサムで裕福な英国紳士でシャネルをパリのアパルトマンに住まわせ、1910年に彼女の最初の店となる「シャネル・モード」を開く資金も出してくれました。この前後、バルサンとカペルは彼女をめぐって恋の鞘当てをし、そのおかげで彼女は自分の店を持てたのでした。
身分の違いが障害となり、カペルは英国貴族の令嬢と結婚
シャネルはバルサンの館にいたころから服装に独自の工夫を見せ、殊に帽子で人々の注目を集めていました。彼女が作った帽子は、当時の基準からすると小さめでシンプルなタイプで、一種のアートとして評価されました。というわけで彼女の最初の店は帽子屋でした。帽子は上流階級の人々には不可欠のアイテムです。
2021.12.07(火)
文=長山靖生