冒頭から引き込まれる演出の妙
本作は、端的に言えばある漫画家の半生をつづった物語だ。物語は、主人公・藤野の小学生時代から始まる。毎週配られる学年新聞に4コマ漫画を載せ、周囲から「面白い」「絵が上手い」と毎日のように褒めそやされていた彼女。
しかし、膨れ上がった自尊心は、不登校の同級生・京本の登場によって粉砕される。きっかけは、複数枠ある4コマ漫画の掲載欄のうち、一枠を「漫画を描いてみたい」という彼女に譲ることになったこと。
「学校にもこれない軟弱者に漫画が描けますかねぇ?」と煽りまくっていた藤野だったが、京本が描いたコマを見て愕然。誰が見てもわかるほどの歴然とした“画力”の差が、そこにはあった――。
「井の中の蛙大海を知らず」ではないが、小さなコミュニティの中で才能を発揮し、周囲からおだてられて調子に乗ってしまう経験は、誰にだってあるのではないか。本作は、そうした「自分にもこんな時期があった……」と黒記憶がフラッシュバックして赤面してしまうような“共感性”を、冒頭の数ページで展開。藤野のドヤ顔→茫然自失という表情のギャップを、わずか3ページの中に仕込んでいる演出も上手い。
藤本氏の作品は、セリフに頼らず、“画”で言葉以上に雄弁に、かつダイレクトに感情を伝えるものが多いが、そこには彼が描き出す「表情の豊かさ」が大きく起因しているといっていい。
例えば『チェンソーマン』の主人公であるデンジは、喜怒哀楽の感情がストレートに表情に出てしまうタイプ。だからこそ、友や仲間を亡くした際の「どういう顔をしたらいいか分からない」哀しみや喪失感がドラマ性を掻き立てている。
同作の“ドジキャラ”である東山コベニも、常にテンパっている女性だが、彼女の表情を見ているだけで切迫した状況や心理状態が伝わってくる。『公安編』の終盤に用意されている、超シリアスな中での“どんがらがっしゃん”な展開などは、コベニの表情の崩れっぷりと無表情なチェンソーマンのギャップが、強烈な面白さを生み出していた。
そうした藤本氏の“異能”である「表情の豊かさ」で早速物語に引き込む『ルックバック』は、そこからある種の“修行編”へと突入する。ここもまた、痺れる展開だ。
「4年生で私より絵ウマい奴がいるなんてっ 絶っっ対に許せない!」と一念発起した藤野は、インターネットで画力アップ法を調べ、本屋でデッサンの参考書を買い、猛特訓を開始。6年生になるまで、つまり約2年もの間、一心不乱に絵を描き続ける。
先ほど述べたように「格上を知り、挫折を経験する」経験は誰しもに訪れるものだが、そこから這い上がって努力し続けられるかどうかは、分かれるところだろう。
調子づいていた藤野が自らの画力不足を認め、鍛錬にシフトする流れは非常にジャンプ的で、少年漫画らしさを感じさせる(『僕のヒーローアカデミア』の爆豪勝己がまさにそれを地で行くタイプだ)。
2021.07.23(金)
文=SYO