「私は告白する。キム・ギドクの映画は本当に悲しい映画だと…本当に美しい映画だと…本当に熾烈な映画だと…女を軽蔑する映画ではないと…。私はただ女と男という思考ではなく、人と人との関係から出発した映画だと思う」「私の映画の中には傷ついた人々、普通で言う下層階級がたくさん出てくる。私はそういう人たちをたくさん見てきたし、彼らの人生の中の力強い生命力を映画で表現したかった」。
2012年のベネチア映画祭のグランプリ受賞直後に受けたインタビューでは、次のように説明した。
「私の映画にはやくざや遊女など社会の一番下でもがいている人たちが登場します。彼らはお金や権力をもっている人たちが決して経験できない境地に至っている、彼らが見ている世の中こそとても正確だろうと思いました。彼らの荒い行為を通じて韓国社会の持続する桎梏(しっこく)を見せようとしたのです」「私の映画の終わりで、そういうのも人生だという結論を下します。私たちの生きる人生そのものは自虐・加虐・被虐が車輪を形成して動くのではないでしょうか」(2012年10月22日「ハンギョレ」インタビュー記事より)。
キム・ギドク監督が韓国映画界で非主流に止まらざるを得なかったもう一つの理由として、彼の生い立ちや学歴に対する韓国社会の冷たい視線が存在する。「(キム・ギドクに対する低評価は)韓国映画界ではなく、韓国メディアの二重的態度によるものだ。マスコミは『それらしく見える人』を持ち上げる習性があるが、特に韓国映画界には学歴資本というものがある。(韓国メディアが絶賛する)ポン・ジュノ監督やパク・チャンウク監督は名門大学出身であるのに対し、キム監督は事実上無学だ。その意味でキム・ギドクは『血統の悪い監督』であり、その上、映画の中の表現が強すぎる点も評価を低くさせた。彼がこうした点を糾弾すれば、マスコミからまた烙印を押される悪循環があった」(チェ・グァンヒさん)。
2021.05.16(日)
文=金 敬哲