キム監督は再び10億ウォンの民事訴訟を起こし、自分に向けられた「#MeToo」疑惑に積極的な対応をしようとした。しかし、韓国社会は冷ややかだった。映画界では「キム・ギドク事件共同対策委員会」を設置し、組織的な対応に乗り出した。2018年に完成した彼の新作『人間の時間』は世論の反対で韓国内での公開が不発に終わり、韓国メディアは彼が起こす民事訴訟はもちろん、彼の創作行為そのものが被害者に対する二次的な加害だとして彼を責め立てた。

キム・ギドク、最期の時

 2020年の年末、キム・ギドク監督の突然の訃報がロシアメディアから伝えられた。旧ソ連地域のラトビアでコロナの合併症により12月11日に病院で死亡したという内容だった。韓国の日刊紙「朝鮮日報」は、キム監督が、自分の映画に対する人気の高い旧ソ連地域を転々とした末、ラトビアに定着しようとしたという彼の最期を報じた。

 報道によると、「#MeToo」論争で韓国を離れたキム監督はカザフスタンやキルギスなど、旧ソ連地域に滞在した。キルギスでは現地の映画評論家であるグルバラ・トロムショバさんが彼の生活費を援助し、カザフスタンではカザフスタン政府や映画界の支援で2本の映画を演出した。キム監督はその後、ロシアへ渡り、2019年に第41回モスクワ国際映画祭でコンペティション部門の審査委員長を務め、エストニアを経てラトビアに移った。

 彼はラトビアのユルマラに家を買ったが、永住権を得ようとしているとき、コロナにより死亡したそうだ。韓国メディアを通じて伝えられたロシアメディアの報道では、「キム監督は基礎疾患の腎不全にコロナが重なり、入院2日後に病院で死亡した。もっと大きい病院に移ろうとしていたところだった」とあるが、知り合いの芸能記者によると「腎不全を患っていることを知らなかった」ということなので、腎不全はそれほど深刻な段階ではなかったのか真相は不明だ。

 韓国社会は彼の死亡ニュースを衝撃として受け止めながらも、彼を追慕する雰囲気はほとんどなかった。映画界でも公式的な追慕は出ておらず、むしろ彼を個人的に追慕する映画関係者に向かって「反#MeToo」と攻撃する社会的雰囲気が漂った。結局、キム・ギドク・フィルム側は「故人の遺族のために無分別な憶測や非難を慎んでほしい」と訴えるしかなかった。皮肉にも彼の死後、韓国メディアと映画界はキム・ギドク監督について「世界が認めた巨匠」という点を否定しなくなった。ただ、この巨匠のいかなる傑作も、彼にかけられた「#MeToo」論議を乗り越えることはできなかった。

金敬哲(キム・キョンチョル):韓国ソウル生まれ。淑明女子大学経営学部卒業後、上智大学文学部新聞学科修士課程修了。東京新聞ソウル支局記者を経て、現在はフリージャーナリスト。近著に『韓国 行き過ぎた資本主義』(講談社現代新書)。

2021.05.16(日)
文=金 敬哲