「アニメーションはエゴの塊」の意味
印象的なのは「アニメーションはエゴの塊だから」という発言だ。その理由を問われると庵野監督は「内緒」と笑ったが、ロケーションの制約や天気、撮影トラブル、役者の動きなど、偶発的な要素が発生しない絵コンテの段階で多くの内容を固めてしまうアニメーション本来の制作手法では監督自身の想像を超えない上、その個人の思想まで色濃く注入された閉じた作品になってしまう、ということかと想像した。
音楽業界でもコライトと呼ばれる作家、ミュージシャン同士の共同作業、共同著作が世界的に活発化している。作詞、作曲が偏重され、アレンジが軽視されがちだった楽曲制作の現場でもお互いの手癖や限界を超え、新しい音楽を生み出すことが一つの潮流となっているのは偶然ではないのかもしれない。
「僕のまわりのひとが困っている姿を撮るのがいいんですよ」
庵野監督が度々口にする「もっと僕ではなくスタッフを映せ」「僕のまわりのひとが困っている姿を撮るのがいいんですよ」という言葉はこの番組で聞き逃してはならない重要な発言だ。本人の脚本やイメージを元に上がってきたはずのアイデアを「なんか違う」「良くない」と庵野がやんわり否定する。
TV版で監督を務めた鶴巻和哉や中山勝一、アニメーターの前田真宏など、アニメ界を代表する天才たちがその度に頭を抱えながらも彼の言葉を否定せず再提案する。彼らはどれだけスケジュールがギリギリになっても感情的にならず、慎重に言葉を選び、検討を重ねるが、その振り回されている周囲の人間の戸惑いやバタバタしている様子を積極的に映し出せ、と撮影対象者が自ら指示しているのだ。ドキュメンタリーとしては非常に歪なシーンといえるだろう。
撮影スタッフを呼び出し「(この密着ドキュメンタリーが)面白い番組になって作品が面白そうに見えてもらわなきゃ困るんですよ」とはっきり言う場面は、冷静に考えれば「本来使ってはいけないカット」だろう。その後も撮影スタッフに「編集も自分でやるんでしょ? 意見だしてよ」と話しかけるなど、取材する側との境界線を決壊させ、共犯関係を結ぼうとする監督の思惑がみてとれた。
2021.04.03(土)
文=RAM RIDER