秋田の伝統行事ナマハゲを縦糸に、若者の成長を描いた映画『泣く子はいねぇが』(監督 佐藤快磨)に主演した仲野太賀。演じるのは、妻子からも故郷からも逃げ出してしまった青年たすく。
モラトリアムな若者が、もがきながら大人としての覚悟を決めていく姿の生々しさ、おかしさは、役者・仲野太賀の真骨頂と言える。20代後半になった“ゆとり世代”の素顔は?
自分自身のモヤモヤした感情と重なった脚本
――『泣く子はいねぇが』は想像させる部分が多い映画ですね。たすくとことね(吉岡里帆)という若い夫婦が、なぜうまくいかなくなったのか、具体的な理由は語られてはいませんが、どのように思って演じていましたか?
たすくは大人になり切れないままの青年であり、親という自覚がないまま父親になってしまった。幼い頃から知っている妻のことねは、着実に自分のビジョンを持って歩んでいく人なんだけれども、たすくはまだそこの展開に追いつけていないというか。
――たすくは、良い子ですよね。仕事はしてなさげですけど(笑)。
そう言ってもらえると嬉しいというか(笑)。でも悪い奴ではないけれど、求められた時に応えられなかった瞬間があったんだと思うんです。
ことねへの愛情も、娘が生まれたことへの喜びも味わってた。ただ、ことねには「今」だったんですよね。今こうして欲しかったし、今、変えてほしかった。そこの甘さみたいなのが、たすくには多分あったんです。
――上映中の『生きちゃった』でもお話は違いますが、やはり妻子に逃げられてしまう男を演じていますね。『生きちゃった』の厚久は社会人としてはちゃんとしているし、父親としての自覚もある。一方、『泣く子はいねぇが』のたすくは、社会人としても父親としてもまだまだです。でも、どちらも大人になりきれない男性であり、表裏一体というか、双子のような映画だと思いました。こうした興味深い役が続くのは、ご自身ではどう思われますか?
父親役が続いてみて、年齢もあるのかと思います。20代後半になって、小さな子供がいる役にもリアリティが少しずつ生まれてきた。大人と青年の狭間というか、モラトリアムというか、そういう題材が今の自分に合うんだろうな、と。
自分自身もそう思っているし、特にこの脚本を読ませていただいた時に、僕自身が20代に入ってずっと漠然と抱えていたモヤモヤみたいなものと重なったんです。
僕も実際の年齢はもう大人と言う世界に突入したのに、なんでこうもっとうまくやれないんだろうとか、自分が思い描いていた大人像との乖離というのを、すごく感じていて。でも答えは出ない。
実年齢は20代なんだけど、心の中では10代の自分がずぶとく横たわっている感覚がすごいあったんですよね。それに対する答えが、この脚本にはあるな、とすごく思ったんです。この作品だったら、自分の等身大をあますことなく表現できる、と思いました。
――大人世代としては、柳葉敏郎さん演じる夏井の「お前たちのことがわからないんだよ!」というセリフが、すごく響いたんです。自分は若いつもりでいるんだけど、もう若い人の気持ちがわからなくなってきていることを突きつけられたようでした。あれは、40~50代以上の人には痛切に響くセリフではないかな、と。
素晴らしい脚本ですね。確かに、その視点がなかったらもう少し狭い映画になっていたかもしれないです。
2020.11.21(土)
文=石津文子
撮影=佐藤 亘
ヘアメイク=高橋将氣
スタイリスト=石井 大