人々の心を揺さぶり、歴史を変えた女性の活躍を池上さんが紹介する特別講義が、お茶の水女子大学で行われました。歴史観、職業観、生き方のヒントが満載の熱血授業を大公開!
CREA新連載「世界を変えた10人の女性」より、今回は政治家アウンサンスーチーです。
祖国の民主化運動に人生を捧げ ノーベル平和賞受賞で世界を味方に
アウンサンスーチー (政治家)
1945年6月19日ビルマ(現ミャンマー)生まれ
英雄の娘として生まれる
アウンサンスーチー(以下スーチー)は、アウンサン将軍の娘として生まれました。アウンサンはイギリスの植民地だったビルマを独立に導いた中心人物で、独立直前に暗殺された悲劇の英雄です。父を亡くしたとき、スーチーは2歳でした。
母は英雄の未亡人として、インドの大使になります。10代のスーチーは、母と暮らしたインドでガンジーの影響を受け、非暴力抵抗運動を学びます。後の彼女は、目的達成のためには武力も辞さなかった軍人の父親とは違い、ガンジーの精神に沿って戦うことになるのです。
デリー大学に進学したあと、イギリスのオックスフォード大学に留学。哲学や政治学、経済学を学び、その後ニューヨークの国連で働きます。当時の国連事務総長がビルマ人のウタントでした。彼の任期満了とともに国連を辞し、イギリスに戻り、学生時代に知り合ったマイケル・アリスと結婚します。彼はたいへん物静かなチベット学者で、夫婦はオックスフォードで学究生活に入りました。この間、二人の男の子が生まれます。
スーチーが祖国を離れている間、ビルマは激動の中にありました。ビルマが独立して14年後の1962年、ネ・ウィンという人物によってクーデターが起き、ビルマは社会主義政権になります。独裁の結果、どんどん貧しい国になり、ビルマの人たちの不満は破裂する寸前にまで高まりました。ついに1988年3月、ラングーンの学生たちによるネ・ウィン体制に対する反対運動が起きます。実に運命的なことですが、同年4月、スーチーの母親が脳卒中で倒れます。彼女はただちに単身ビルマに戻り、母親の看病を始めました。あるとき、彼女がアウンサン廟で開かれた将軍を偲ぶ会に出席したことが新聞に報じられると、反政府運動を繰り広げていた若者たちが歓喜します。スーチーに面会を求め、将軍の娘として、民主化に力を貸してほしいと頼みこみました。その熱意を受け、彼女は8月、シュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて「民主主義こそ尊い」という演説をします。人々は熱狂し、彼女は民主化運動のリーダーとして祖国を牽引していくことになるのです。
2013.02.03(日)
composition:Yukari Nukumizu
photographs:Atsushi Hashimoto / Robert Mort(Aflo)