引き裂かれた愛
「将来もし祖国が私を必要とすることがあれば私が祖国に戻ることを許してください」(結婚に際して)
――アウンサンスーチー
反政府運動は大きく盛り上がり、ネ・ウィン政権は倒れました。しかし民主化は実現せず、軍部のクーデターで新たな軍事政権が誕生し、民主化運動の推進派が烈しく弾圧される事態に(国名も「ミャンマー」に変更)。これにより高まった国民の不満を鎮めるため、軍事政権は民主的手続きによる総選挙を行うと約束し、そこでスーチーを党首に、国民民主連盟(NLD)が組織されました。
しかし、総選挙前年の1989年、NLDの勢いに危機を感じた軍事政権は、スーチーの全国遊説は国家を危機に陥れる行為であるとして、彼女を自宅軟禁にしてしまいます。総選挙ではNLDが圧勝しますが、軍事政権は選挙結果に従う方針を翻し、NLDの党員を次々と逮捕。世界中に「悲劇の囚われの女性」として彼女の存在が広まります。
そして1991年、彼女の民主主義と人権回復のための非暴力闘争や勇気ある言動が評価され、ノーベル平和賞を受賞。しかし、授賞式のために出国すれば、政府は二度と入国させない魂胆だったので、出席は叶いませんでした。
その後、イギリスにいる夫がガンに冒されていることが判明します。彼は死ぬ前に会いたいとビザを申請しますが、ミャンマー大使館は却下。スーチーも、会いに行きたかったはずですが、ここで祖国を後にすれば、人びとを失望させると考えたのでしょう。結局、夫を看取ることができませんでした。しかし、二人の間に深い信頼感があるからこそ、彼女は信念を貫けたのだと、私は思います。
軟禁と解除を繰り返すタン・シュエ政権ですが、国際政治の厳しい非難を受けて、ミャンマー民主化の方針を打ち出します。しかし、2010年に行われた20年ぶりの総選挙でも、政府は様々な手で彼女を排除し、テイン・セインというタン・シュエの部下が新大統領になりました。
ミャンマーの人びとが落胆していたところへ、2011年8月、テイン・セインが突然スーチーを招き、国会議員の補欠選挙への出馬を要請しました。スーチーは選挙に出馬し、見事当選。とうとう国会議員になりました。そこからミャンマーは急速に民主化の道を歩んでいます。
スーチーはスーチーとして祖国にとどまることそれだけで十分に民主化へ貢献できた人なのだといえますが、政治家としての彼女の手腕はいかなるものか。これから注目していきましょう。
池上彰
1950年長野県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHKに入局。記者やキャスターを歴任し、2005年にフリージャーナリストとして独立。東京工業大学教授。CREA連載を書籍化した『世界を変えた10冊の本』(小社刊)も好評発売中。
2013.02.03(日)
composition:Yukari Nukumizu
photographs:Atsushi Hashimoto / Robert Mort(Aflo)