赤道を越えた南太平洋に、“楽園”という響きが世界でいちばん似合う島々がある。
19世紀後半から20世紀にかけて、欧州の画家やシンガーなどアートに心捧げた人々は、文明によって失われた楽園を求め、タヒチを目指した。
彼らを惹きつけてやまなかった何かを探しに、タヒチの島々――ボラボラ島、ファカラバ島、マルケサス諸島のヒバオア島、タヒチ島へ渡った。
ゴーギャンやブレルが眠る
マルケサス諸島

タヒチ島の北東、約1,433キロ。国内線を乗り継ぎ約3時間50分。
寒流のペルー海流に洗われるマルケサス諸島は、タヒチの他の島々ではおなじみのトロピカルなコーラルリーフはなく、荒々しい断崖が太平洋からそそり立っている。


ここまで遠く離れると、タヒチ島とは30分の時差があり、言葉も異なる。
たとえば“ありがとう”は、タヒチ語で「マーゥルゥル」、マルケサス語で「ヴァイエィヌィ」。古代の先住民族であるマオヒの言葉の影響が残っているという。
紀元前2世紀、タヒチの人々の祖先はサモアなどから新天地を求めてマルケサス諸島へ、それからタヒチ各島へと移り住み、やがて北のハワイ、南東のイースター島、南西のニュージーランドへとわたり、いわゆる「ポリネシア・トライアングル」を形成した。
マルケサス諸島のことを“人類の大地”を意味する「ヘヌア・エナナ」と呼ぶのは、人々の移動の起点になった場所だからだろうか? と、想像も膨らむ。

今回、訪れたヒバオア島は、12島からなるマルケサス諸島のうち、2番目(フレンチポリネシア全体では3番目)に大きな、南マルケサス諸島の中心的な島。

伝説によるとマルケサス諸島の12の島々は神の屋敷の各部分を示し、ヒバオア島は大梁とされている。家の中でも重要な部分だ。
また、肥沃な土地から「マルケサス諸島の庭園」という呼び名もある。


そんなヒバオア島は、画家ゴーギャンが1901年に、ベルギーの歌手であり詩人であり俳優でもあったジャック・ブレルが1975年に移り住み、終の棲家に選んだ場所だ。

彼らの目に映ったヒバオア島と、今の風景はきっと変わらない。ヨーロッパ人が初めて訪れた大航海時代も、紀元前2世紀の民族の大移動時からも、きっと変わっていない。
そう思わせる原始の自然がここにある。
2019.09.02(月)
文・撮影=古関千恵子