東洋一のサウンドマシーン、クレイジーケンバンドを率いる横山剣さん。その常人を超えた旺盛なクリエイティヴィティにインスピレーションを与える源泉のひとつが、魅力的な女性たちの存在です。これまでの人生で恋し憧れてきた、古今東西の素敵な女性について熱く語ります!


#009 兼高かおる

この写真が撮影されたのは1953年というから、当時の兼高氏はまだ20代半ばの若さ。「兼高かおる世界の旅」の前身となるテレビ番組が始まるのはこの6年後となる。
この写真が撮影されたのは1953年というから、当時の兼高氏はまだ20代半ばの若さ。「兼高かおる世界の旅」の前身となるテレビ番組が始まるのはこの6年後となる。

兼高かおる(かねたか かおる)

1928年神戸市生まれ。本名は兼高ローズ。インド人の父と日本人の母を持つ。ロサンゼルス市立大学に留学した後、ジャパンタイムズなどの媒体でジャーナリストとして活躍。59年、自らがレポーター、ナレーター、プロデューサー、ディレクターを兼任する「兼高かおる世界飛び歩き」(TBS系)がスタート。翌年、「兼高かおる世界の旅」と改題され、90年まで続く長寿番組となる。71年には一般女性として世界初の南極点到達を果たす。86年から20年間にわたり、横浜人形の家館長を務める。90年、菊池寛賞受賞。91年、紫綬褒章受章。2019年に心不全で死去する。

インド系の女性に心惹かれて

 子どもの頃、日曜の朝の定番ともいうべき存在だったのが「兼高かおる世界の旅」。

 1960年から90年まで、実に30年以上の長きにわたってTBSで放送された長寿番組です。

 海外旅行がまだまだ高嶺の花だった昭和の時代の視聴者は、この紀行番組を通し、世界各地の風物について見聞を広げ、また憧れを募らせたものです。

 個人的には、僕の好きなパンナム航空がこの番組に協賛していたのもうれしかった。

 ジャーナリストの兼高かおるさんが自ら赴く場所は実にさまざま。

 例えば、モナコでは王侯貴族の世界を垣間見たかと思えば、辺境の地では現地の部族が原始的な生活を送る集落に足を踏み入れる。振れ幅が広いんです。 

 その映像のバックでは、毎回、兼高さんと芥川隆行さんによる掛け合いのナレーションが繰り広げられます。

 兼高さんのトークは結構言いたい放題なんだけど、そこに全然嫌味がない。芥川さんの合いの手もまた、低めのトーンの美声が絶妙な包容力を帯びていて、とても品がいい。

 あの番組では、兼高さんはレポーターとナレーターとプロデューサーとディレクターを兼任していたそうですね。まさにスーパーウーマン。

 何でも、兼高さんは、お父さんがインド人、お母さんが日本人というハーフなんだとか。

 僕は、昔からなぜかインドの血が入った女性に惹かれてしまうんですよ。真理アンヌさん、シリア・ポールさん……。今思えば、その元祖が兼高さんだったのかも。

2019.05.26(日)
構成=下井草 秀(文化デリック)