幻の王朝と言われた「夏」、そして「蜀」の異形の仮面

[一級文物] 爵 殷時代・前16~前15世紀 河南省・鄭州博物館蔵

「夏」は長い間文献上にしか登場せず、幻の王朝と言われてきた。しかし二里頭遺跡(河南省偃師市)で最古の宮殿建築が発掘されたことなどから、こここそ夏王朝の都邑であると考える研究者も多い。

 粟・黍・小麦・水稲・大豆など、ひとつの作物に集約せず、リスク分散を図りながら農業を行っていたこと、複数の河川の支流に近く、各地からの情報や交通ネットワークのハブとなっていたことなどが、この地を栄えさせた原因となったようだ。

 展覧会はこの「夏」、そして物理的に存在が証明されている中国史上初めての王朝「殷」、そして殷と同時期に長江上流の四川盆地で繁栄した、三星堆遺跡に代表される「蜀」で形づくられた文物を対比する展示から始まる。

会場風景(蜀・突目仮面)

「蜀」の文物でなにより目を引くのは、前へつきだした大きな目、左右に張り出した耳、その耳の付け根近くまで広がった口、そして額の中央から角のように上へ伸びる突起物がついた、異形の仮面だろう。古代蜀について言及する史書に、王朝の始祖が「縦目」だったと記されていることから、その王を表したものだとも言われる。夏や殷など、漢民族の源流とされる中原の王朝とはまったく異質な文化が、長江上流で育まれていたことを物語る、非常に重要な遺物だ。一方、殷の遺跡の出土品と共通する玉器などもあり、互いに決して孤立した存在ではなく、交流があったこともわかる。

会場風景(夏・土器)

「夏」の文物として出展されているのは、酒を注ぐ器だったと考えられる三本脚の土器や、青銅製の板にトルコ石をはめ込んだ飾り板など、いずれも二里頭遺跡からの出土品4点。夏の影響は山東や河北、遼寧、内蒙古など、中国各地で発見されている同時代の遺跡へ及んでおり、バラバラに勃興しつつあった地域が、中原を核として緩やかに結ばれながら育っていく様子が見て取れる。

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2012.10.27(土)