世界最大の石造建築物ピラミッドの内部を上ってみよう。ツタンカーメンの煌びやかな宝物を間近で見てみよう。古代エジプトのファラオたちが成し遂げた偉業を、およそ5,000年の時を超えた今、体験できるのはまさに奇跡!
偉大なるエジプト体験は時を超越して人の心を動かし、価値観さえ変えてしまう。2017年10月から直行便が復活し、日本からカイロへは約14時間。ファラオたちの栄華が花開く地へ、ひとっ飛びだ!
ツタンカーメンに会いに
王家の谷へ
3,500年以上前、人口100万人を抱える上エジプトの首都だった古都テーベが、今のルクソール。繁栄を極めたかつての都は、ナイル川を境に見どころが異なる。
太陽が沈む西側はファラオたちが眠る「王家の谷」や「王妃の谷」などがある“死者の都”。一方の太陽が昇る東側は、エジプト最大の規模を誇る「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」、2つの神殿が構える“生者の都”。
どちらもエジプト旅行のハイライトだ。
まず向かったのは、見渡すかぎりサンドベージュの岩山が折り重なるように続く、エルクルン山の麓「王家の谷」。数十人のファラオの63もの岩窟墓がある。
ピラミッドが建造された古王国時代から1,000年後の新王国時代、ファラオたちは墓泥棒から自らの墳墓を守るためにナイル川から奥へ、奥へと入っていった。そしてピラミッドのような形をした山の麓にある、この地に行き着いたのだという。
ゲートからタフタフというトロッコバスに乗り、灼熱の太陽が照り付ける中、乾いた岩山の合間を行く。ところどころで見かける岩山に開いた口が、岩窟墓の入口だ。
調査中のところや開放されていないところもあり、すべてを見て回るのは到底できないので、今回はラムセス3世、ラムセス4世、ラムセス9世、そしてツタンカーメンの墓を回ることにした。
墓の中に入ると、炎天下から一転して、空気がひんやりしている。
坑道の両壁や天井にびっしりと描かれたレリーフの中には、「死者の書」もある。これは死後、魂がどこへ行くのかを描いた、いわば死後の世界の手引書のようなもの。
冥界の神オシリスをはじめ42の神々の前で現世の業が裁かれる流れは、どこか閻魔大王の裁判と似ている。そもそも“あの世”の概念は、古代エジプト人が生み出したものだそうだ。
そして20世紀最大の発見とされる、ツタンカーメンの墓へ。
18世紀頃から、古代エジプト文化に魅了されたヨーロッパの探検家たちは遺跡の発掘に駆り立てられ、考古学的発見と美しい宝物を見出してきた。
けれどツタンカーメンに関しては、存在は信じられていたものの、墓が見つからない。王家の谷はもう掘りつくしたと誰もが諦めていたが、考古学者ハワード・カーターは粘った。
「ラムセス6世の墓の造営時、ツタンカーメンのことは世の中から忘れ去られていて、彼の墓の上に人夫小屋を建ててしまったのではないか?」との仮説を立て、それがみごとに的中。
1922年、誰も手を付けなかった人夫小屋の下から、ツタンカーメンの墓が盗難に遭うこともなく、ほぼ埋葬時の状態で発見されたのだ。
ツタンカーメンの墓は他のものと比べて規模が小さい。ガイドさんいわく、19歳の時に若くして他界したため、墓の準備が間に合わなかったらしい。
それでも来世で現世と変わらぬ暮らしができるよう、少年王の墓内には金銀財宝がたっぷりと収められていた。その膨大な量の宝飾品は整理・分類・記録を行うのに、およそ10年もかかったという。
財宝類はカイロのエジプト考古学博物館内に移されたが、ツタンカーメンのミイラは発見者の考古学者ハワード・カーターの希望によりそのまま玄室に残されている。教科書で見た少年王を前にしてみると、思いのほか、小さいことに驚いた。
2018.11.22(木)
文・撮影=古関千恵子