「東京ラブストーリー」「わたしたちの教科書」「Mother」「それでも、生きてゆく」「最高の離婚」「Woman」「問題のあるレストラン」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」「anone」──。

 数々の脚本を手がけてきた坂元裕二さんの作品世界に迫る単行本『脚本家 坂元裕二』(ギャンビット刊)が発売されました。延べ13時間にわたったインタビューの中から、紙幅の都合で単行本に載せられなかった未公開テキストを、全4回にわたってお届けします。

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Interview 01
脚本を書くということ

『脚本家 坂元裕二』には、初めて語る自らの半生や、ドラマを書くときの信念、全ドラマ解説などのインタビューが収録されている。ここでお届けする未公開テキストは、年齢と脚本の相関関係、誰に向かって脚本を書いているか、女性の気持ちを書くことについて。

──2018年まで、「問題のあるレストラン」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」「anone」と、4年連続で1月クールの連ドラを書かれていましたが、そのあいだお休みはありましたか?

坂元 台本を書いて、プロデューサーに送って、プロデューサーから「何時からにしましょう」みたいな打ち合わせ時刻を指定する連絡が来るんです。その時が来るまでが、唯一何も考えずにいられるお休みでした(笑)。そこだけは考えてもしょうがないじゃないですか。

 プロデューサーによってその時間はまちまちで、数時間後だったり、1日あくこともあるんですけど。その休みには、だいたい六本木ヒルズに行って映画を観ます。その時間にできることって、それぐらいしかないですから。

──坂元さんは19歳で脚本家デビューされて、23歳という若さで「東京ラブストーリー」を書かれています。「若かったからこそ書けたこと」、「成熟した現在だから書けること」がそれぞれあったりするのでしょうか?

坂元 自分としては、以前書けていたものが書けなくなったなあっていう気はまったくしないですね。今のほうがいろんなものが書けるようになったと思っています。

 やっぱり20代の頃は自分の周りのことしか見えてなかったし、その頃に書いてた登場人物は、お仕事がみんなフワッとしてるんですよね(笑)。「東京ラブストーリー」のカンチ(織田裕二)も、トレンディドラマの特徴ですけど、なんの仕事してるのかよくわかんない(笑)。それって当時のドラマのいいところでもあるけど、でも自分の若さゆえの欠点だと思います。

 当時「職人として上手く書けた」と思った脚本も、今もう一度書いたらもっと上手く書けるっていう思いはありますし、こっそりと好きで書いていた単発のドラマ(「1992年のバタフライ」「海が見たいと君が言って」)とか、センスだけで書いていたドラマだって、今でも書けると思います。何かを失った気はまったくしないですね。ほんとに、得るものばっかりです。

2018.10.19(金)
構成=上田智子