「阿佐ヶ谷スパイダース」が劇団となって初めての舞台「MAKOTO」に出演中の中山祐一朗さん。阿佐ヶ谷スパイダースが演劇プロデュース・ユニットだった時代からの中心人物であり、それ以外の舞台や映像作品にも数多く出演している、彼の人となりに迫りました。
――俳優になろうと思ったのはいつ頃、どんなきっかけでした?
中学高校時代の先生に、上智大学でシェークスピア劇を英語の原文のままやるサークルにいた方がいて。その先生がずっと僕の担任だったんです。吉田鋼太郎の先輩なんですけど……。で、文化祭とかになるとその先生の元で、すごく頭のいい同級生がシェークスピアの脚本を短く書き直して芝居をやっていたんです。
男子校だったし僕は背が低かったから、最初は女の子の役「ヴェニスの商人」のポーシャ役をやったんです。その劇中で男性になったり女性になったりするのでドレスの下にズボンを穿いていて、それがずり落ちてくるから直しながらやったら笑いをめっちゃとったんですよ(笑)。それでクセになったんですね。
――何年生のときですか?
中学1年の時です。次の年は「ハムレット」でオフィーリアをやりました。あと高校生になってから、つかこうへいさんの映画『熱海殺人事件』を観て感動して、自分で舞台の脚本に書き直してやったりして……。でも、つかこうへいさんが舞台の人だって知らなくて(笑)。
そのときは演出もやって、ただ自分が好きって理由で最後にイルカの「なごり雪」をかけたり。それで、「これは早稲田に行って演劇やるしかない」と思ったんです、早稲田の付属校だったし。でも結局2浪して明治に行ったんですけど(笑)。
2018.08.17(金)
構成=FUNFUN
文=濱野奈美子
撮影=佐藤 亘