故郷と呼ぶにはあまりにも苛酷な
暴力と罵倒の日々
今月のオススメ本
『野蛮なアリスさん』 ファン・ジョンウン
土地神話に踊らされる大人たちと、圧倒的な暴力にさらされて育つアリシアと彼の弟の哀切な日々を描く。言葉で殴りかかられているような稀有な読書感覚。巻末の著者からのメッセージも名訳者・斎藤真理子さんによるあとがきも、物語を深く読み解くよきヒントに。
ファン・ジョンウン 著、斎藤真理子 訳 河出書房新社 1,600円
〈私の名前はアリシア。女装ホームレスとして、四つ角に立っている〉。ファン・ジョンウンさんの『野蛮なアリスさん』の主人公は冒頭から強い言葉で語り出す。ひるみそうな心を見透かしたように作中で何度も〈君は〉と呼びかけてくる。
「この小説を書く過程そのものが、私には苦しい体験でした。たぶんこの語り手の声を聞く人にとってもつらいはずだから、読者が読むのを投げ出さないように、何より私自身が途中で書くのをあきらめないように、呼びかけ続けなくてはいけないと思ったんです」
アリシアは、白昼夢のように思い出す。巨大な団地が墓標のように建っている破壊された故郷〈コモリ〉での出来事を。故郷と呼ぶにはあまりにも苛酷な、暴力と罵倒の日々を。
「アリシアの母親は、アリシアや彼の弟に熾烈な暴力を繰り返し加えますが、私は、それを見て見ぬふりをする父親や住民などの方が、より野蛮だと感じるのです」
物語の背景に横たわっているのは、不動産バブルに狂奔したかつての韓国社会。アリシアと彼の弟を待ち受ける運命を、ジョンウンさんは社会がもたらしたものとして描く。
「私自身もそんな社会を構成する一員であることを自覚しています。アリシアは自責の念が拭えず、哀悼の気持ちにつなぎ止められて街に立つ。社会問題に関しては、私も似た感覚があります。子どもなど、自分に与えられた条件から逃れられない存在は、圧倒的に環境の影響を受けざるを得ないですし、既成世代、韓国でいう旧世代の大人たちには、いまの社会の姿に責任があるからです。“児童虐待”や“ネグレクト(育児放棄)”の問題も、最近は韓国でもとても可視化されていて、私はそこから知り得た現実を書いたつもりなんです。ところが、韓国でもよく、残酷な寓話だと受け止められ、そのことが私にはとても不思議でした」
韓国の名だたる文学賞を総なめにしている。インタビューに答える一言隻句から、血を流して書いていることが伝わってくる。韓国の気鋭の文芸評論家シン・ヒョンチョル氏は、ジョンウンさんの作風を〈あたかも猛獣がえものに狙いを定め、(略)たった一撃でしとめて引き倒すように、書く〉と絶賛した。
「この評価をいただいたのは『誰が』(『誰でもない』に所収)という作品を書いているときでした。私の思いを読み取って鋭く指さしてくれる、そんな読み手の存在を感じるだけでうれしくなります」
ファン・ジョンウン
1976年ソウル生まれ。2010年に『百の影法師』で韓国日報文学賞、 『続けてみます』で大山文学賞ほか、受賞歴多数。
現代韓国で最も注目の作家のひとり。邦訳に短篇集『誰でもない』(晶文社)がある。
Column
BOOKS INTERVIEW 本の本音
純文学、エンタテインメント、ノンフィクション、自叙伝、エッセイ……。あの本に込められたメッセージとは?執筆の裏側とは? そして著者の素顔とは? 今、大きな話題を呼んでいる本を書いた本人が、本音を語ります!
2018.05.28(月)
文=三浦天紗子