新江ノ島水族館で開催中の「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」と文藝春秋各誌による特別企画「ナイトワンダーストーリーズ」。夜のえのすいを巡るショートストーリーズ第一話は、小さな魚たちが描き出す物語です。

» 第二話 「アカエイと甲子園」(Number Webへリンク)
» 第三話 「ミノカサゴと左の手」(文春オンライン:週刊文春へリンク)
» 第四話 「クエと白鯨」(文春オンライン:文藝春秋へリンク)

第一話「イワシと天の川」

 いつもと同じ帰り道のつもりだったのに、気づくとなぜか浜辺を歩いていた。

 夏の江の島は日暮れが長い。青い空が薄紫にゆっくり色褪せてゆき、やがて海の上にはレッドカーペットのような夕日の道が敷かれ始める。それからようやく、一番星がくっきりと輝き出す。

 今日も、何もいいことがなかったな。

 毎日会社と家を往復するだけで、恋人もいないし、特別な趣味もないし、楽しみは本を読むことぐらい。わたしなんて、レッドカーペットに輝く一番星なんて程遠い、平凡な“その他大勢”だ。海の中に棲む、名もない小さな魚のように。

 ぼんやり海を眺めていると、波の音にまぎれて、何かメロディのようなものがかすかに聞こえてきた。気のせいかと思ったけれど、やっぱりどこからか美しい音色が響いてくる。

 振り返ってみると、その音は背後の大きな建物から聞こえてくるようだった。

「新江ノ島水族館」

 そうか、“えのすい”か。久しぶりに、水族館に入ってみるのも悪くないな。どうせ、時間はたっぷりあるし。わたしは、その音楽に引き込まれるように、えのすいへと近づいていった。

 チケット売場へ行って初めて気づいたのだけれど、えのすいは17時から、「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」という夜の演出に変わるのだそうだ。さっきから聞こえている音楽は、そのオリジナルテーマ曲なのだという。「アイスランドで人気のある歌手の方が歌っているそうですよ」。係の人がにこやかにそう話してくれた。

 館内では外の夕焼けが一変して青い宵闇へと変わり、昼間と同じはずの水槽を、どこかミステリアスに浮かび上がらせている。へえ、夜の水族館って、不思議だな。えのすいには何度も来たことがあるけれど、夜の展示を観るのは初めてだ。

 水槽の中には、「シラス」の展示なんていうのもあった。目では見えないほど小さなシラスの赤ちゃんを育てて展示するなんて、飼育員さんも大変だろうな。そんなことを考えながら通路を進んだ時、右手の壁面に光が流れた。

 ほうき星だ。思わず手を伸ばすと、

 シャリン!

 わたしの指に触れたほうき星は、ガラスのような音を立ててパッと弾け、小さな星座となって壁に散っていった。

 なんてキレイ!

 次のほうき星も、その次も、触れると同時にシャリン! シャリン! と弾けて星座に変わっていく。知らず知らずわたしの足取りは軽くなり、次から次へと“音の流れ星”を追って通路を辿っていた。

 その先にあるのは、1階と2階を貫く大水槽だ。その大きさに、思わず早足に近づこうとしたそのとたん、あふれ出した幾重もの光と旋律に、わたしのからだが包まれた。巨大な水槽に数えきれないほどの魚たちが泳ぎ、その周囲が一面のスクリーンとなって、星空の映像が彩っている。プロジェクションマッピングだ。

 光の中から不思議な生き物が現れたり、魚たちがおしゃれなテキスタイルのように輪舞を繰り広げたり、鮮やかに変化する映像から目が離せなくなる。音楽は、星を集めて宇宙を編み上げていくように、繊細でダイナミックだ。これが、「満天の星降る水族館」か!

 けれど、何よりわたしを魅了したのは、大水槽の中で泳ぐ魚たちだった。何千匹ものイワシたちの群れが、きらめく天の川になってたなびく。その川を横切るのは、天秤座のような形のアカエイ。ふたご座のように寄り添うタイ、アジの群れは大きな蠍座、サメは優雅な乙女座。そう、これこそまるで、満天の星だ。

 唐突に、わたしは思った。

 あのイワシたちは、美しく輝こうなんて思っていない。ただ、生きているだけ。一生懸命生きて、命を守り続けたいだけ。だけど、ううん、だからこそ、その姿が、きらきらと光り輝く天の川に見えるんだ。

「宇宙も、海も、そして人間も、生命という神秘で、つながっているのです」

 そんなナレーションの一節が、心に残って消えていかなかった。

 すべての展示を見終えて地上に出ると、目の前の相模湾の上に、本物の星空が広がっていた。「あれはアンドロメダ、その下が夏の大三角」と誰かが誰かに教えている声が聞こえる。

 でもね、とわたしは心の中で語りかけた。空の上で光り輝く星だけが星じゃないんだよ。空には、目に見えないほど小さな星々がたくさん光っている。そして、海の中にも、深海にも、名もない無数の星がいる。その一つひとつのささやかな存在が、遠い昔から未来へ、小さな命をつないでいるんだ。

 そう、もしかしたら、わたしも。

 さぁ、帰ろう。わたしはもう一度江の島の海を見つめ、魚たちに、おやすみなさい、とつぶやいた。


新江ノ島水族館
「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」開催中

(C)新江ノ島水族館/Tsutomu Sakihama

 “えのすい”こと新江ノ島水族館では、17時からのスペシャルイベント「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」を開催中。幻想的な映像コンテンツと美しいオリジナル音楽が生み出す、未知なる感動体験をお楽しみください。

ナイトワンダーアクアリウム2017
~満天の星降る水族館~

開催期間 2017年7月15日(土)~12月25日(月)
休催日 10月21日(土)

[パート1] 7月15日(土)~9月30日(土) 17:00~20:00
[パート2] 10月1日(日)~11月23日(祝・木) 17:00~19:00
[パート3] 11月24日(金)~12月22日(金) 17:00~19:00、12月23日(祝・土)~12月25日(月) 17:00~20:00

新江ノ島水族館
所在地 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-19-1
電話番号 0466-29-9960
http://www.enosui.com/
※一般入場料のみでお楽しみいただけます。

2017.08.09(水)

CREA 2017年9月号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

この記事の掲載号

本と音楽とコーヒー。

CREA 2017年9月号

100人の、人生を豊かにする1冊、1曲、1杯
本と音楽とコーヒー。

定価780円