約50人を取材、約40冊の手帳を参照
愛憎も包み隠さずオープンに

1986年、パリ・オペラ座大階段にて。東京バレエ団の活動の中で重要な位置を占める海外公演は、佐々木氏が最も熱心だった活動のひとつ。世界中の一流歌劇場への「討ち入り」を果たした。

 面白いのは、そんな佐々木さんについての本が美談として書かれているのではなく、周囲の人々との摩擦や葛藤も隠さずに、かなり正直な内容になっている点である。そのざっくばらんな「公平さ」も、この本の凄いところだ。

「本を書くことが決まって、新たに取材をしました。50人くらいに話を聞きましたね。なかなか会ってくれない方もいましたが、電話で3時間以上も話が止まらなかったり、何度も一緒にご飯を食べてお話を聞いているうちに、すっかり親しくなった方もいます。皆さん、佐々木さんのことを語るとなると、自分の一生を語るのと同じになってしまうんです。仲違いした方もいれば、佐々木さんのことを思い出してずっと涙が止まらず、話し出すまでに長い沈黙が続いた方もいました」

 追分さんの取材力と、相手から真実の言葉を引き出す才能はまさに「探偵」だ。それが、佐々木さん本人の内面の鋭い分析も可能にしてしまう。

 本の中で追分さんは、若い頃から卓越していた佐々木さんの交渉力、行動力とともに、70代になってもおもちゃの虫でダンサーを驚かせて喜ぶ小学校低学年並みの子供っぽさ、お正月にはお汁粉を作ってみんなに振舞う気遣い、一度固く信頼した人物さえ近づきすぎるとある日全く寄せ付けないほど疎んじられる難しい性格についても書いている。

1994年のウィーン国立歌劇場の来日公演より。今でもウィーン・フィルの古株メンバーとオペラ・ファンの間ではこの年にクライバーが振った『ばらの騎士』は伝説の公演として記憶されている。

 取材の達人である追分さんだが、佐々木さんがこんなにも心を許したのは、ジャーナリストと取材される側の「相性」も絶対にあったはずだ。

 これはただの偶然かも知れないが、追分さんの誕生日は1月1日で、モーリス・ベジャールと同じ日だった。盟友ベジャールと運命的な絆があったように、追分さんと佐々木さんの間にも、たちまちのうちに信頼関係が生まれる化学反応があったのでは……個人的な見解だが、そう考えずにはいられない。

「インタビュー以外で役に立ったのは、遺品の手帳です。30冊以上……40冊くらいはありましたね。本人しか読めない字で細かく書いてあるんです。特に海外での出来事は詳細に書いてありました。1950年代からのことが記されていましたから、皆の記憶が曖昧になっていることも、手帳で最終的な日付や事実関係を確認しました」

2017.03.11(土)
文=小田島久恵