西洋の伝統文化に「対等」を求め
魔法の公演を次々と実現させた日本人

『孤独な祝祭 佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人』は、誰もが不可能と信じた難事業を成功へと導いた希代の人物の姿を描くノンフィクション。

 2016年4月に亡くなった伝説のインプレサリオ(興行師)、佐々木忠次さんの伝記『孤独な祝祭 佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人』は、約400ページの中に世界中の一流オペラ歌手、一流バレエダンサー、劇場総裁、振付家の名前がふんだんに登場する稀有の一冊だ。

 登場人物の華麗さにおいて比肩するのは、オペラ演出家のフランコ・ゼッフィレッリが書いた『ゼッフィレッリ自伝』くらいだろうか? カルロス・クライバー、モーリス・ベジャール、マイヤ・プリセツカヤ、ジョルジュ・ドン、シルヴィ・ギエム……舞台を愛する人間にとっては、目が眩むような芸術家ばかりである。

 これらの綺羅星の如きアーティストを日本に招き、伝説の公演をプロデュースし、それだけではなく彼らと日本の間に独自の固い絆を作り上げたのが、佐々木さんの偉業だった。

シルヴィ・ギエム『ボレロ』の一場面。「私の人生を変えたササキさん。あなたは私の建築家だった」と語ったギエムは、日本と特別な絆を築き、2015年に東京バレエ団とともに引退ツアーを行った。

 「日本人がバレエをやるのは西洋人が歌舞伎俳優をやるようなもの」と言われていた時代に、東京バレエ団を設立し、ミラノ・スカラ座やパリ・オペラ座など海外の一流歌劇場での遠征公演を実現し、日本のバレエのプライドを世界に知らしめたのも佐々木さんだった。

 そんな「伝説の人物」佐々木忠次さんについて、実は知らないことがたくさんあった。ここ数年は公の場に出られることがほとんどなかったし、「目黒御殿」と呼ばれる東京バレエ団の社屋についても、一音楽ライターの筆者はスタジオと、エントランスに近い開放されたサロンしか見たことがなく、莫大な総工費をかけて作られたという「シェーンブルン宮殿を模した大広間」などは一度も入ったことがない。

 この本は、その豪華絢爛な「美の殿堂」についてのエピソードから始まる。「あの空間こそが佐々木さんを象徴していた」と語るのは、著者の追分日出子さんだ。臨場感溢れる文体は、まさに生前の佐々木さんが今そこにいて、契約や公演に立ち会っているような緊迫感が伝わってくる。追分さんがどんな取材をされたのか知りたくて、著者インタビューを申し込んだ。

2017.03.11(土)
文=小田島久恵