あのGWの風物詩がまたやってくる!
今やゴールデンウィークの風物詩となったクラシック最大級の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」。
フランスのナントで1995年に始まり、2005年に日本に上陸して2016年で12回目を迎える。東京をはじめ、金沢、新潟、大津でも同時開催され、スペインのビルバオやポーランドのワルシャワなど世界中にも拡大し、その勢いは衰えを知らない。
この音楽祭の創設者であり、会期中200を超えるコンサートのすべてをプロデュースするのが、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンだ。
マルタンの経歴は興味深い。ナント市で音楽学と経営管理学を同時に学び、1979年同市に芸術研究制作センターを創立。1981年には南仏の小村、ラ・ロック・ダンテロンで国際ピアノ音楽祭をスタートさせ、第1回から成功に導いた。その後も多くの音楽祭を創立し、年間1000以上のコンサートをプロデュースする。
その素顔は、とても優しく親しみやすい。アーティストと聴衆を愛し、卓越した理念と行動力で「お祭り」を可能にした人物にインタビューした。
田舎で育ったドラム好きの少年
「生まれたのはブルターニュ地方で、ナントから車で30分くらいの小村です。歩き回るのが好きな活発な子供で、10歳のときにドラムセットを買ってもらい、それから6~7年くらい、かなりドラムに熱中しました。ロックやジャズをコピーして……16歳のときにクラシックを発見したんです。
バルトークとベートーヴェンの弦楽四重奏を聴き、すぐにこの素晴らしい世界に魅了されました。そこからマーラーやブルックナーを聴くようになり、ナントの音楽院で和声学と対位法を学びながら、並行して経営管理学も勉強し始めたんです。
演奏家になりたいとは思わなかった。それよりも友達に音楽を発見してもらいたかったのです。いつも数人の友達を家に招いて、私のレコード・コレクションを聴かせていました。そうすることで、情熱をシェアしたかったんです」
マルタンの父親は食品会社を経営し、子供の頃から「リーダーとは?」ということを考えさせる教育を授けていたという。
「父は私につねに新しい経験をさせてくれました。10歳くらいから、店を観察して何が足りないのかを理解するように躾けられましたよ。『あれを手伝ってごらん』と父から言われて、社員と一緒に働くこともありました。学校でもリーダーシップをとるタイプで、クラスでプロジェクトを作るときは、いつも私が言い出しっぺで、高校でも大学でも文化祭のような催しをするときは、企画を立てていましたよ」
2016.04.26(火)
文=小田島久恵
撮影=釜谷洋史