国際刑事裁判所(ICC)の所長を務める赤根智子さん。2026年8月に米トランプ政権から制裁措置を受けたと報じられ、国内外から多くの応援の声が寄せられています。
本稿では、著書『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』(文春新書)より一部を抜粋してご紹介します。1956年、愛知県名古屋市に生まれた赤根さん。本人が明かした「知られざる少女時代」とは――。(前後篇の前篇/続きを読む)
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理科が好きだった少女時代
もともと私は理系志望の人間でした。今でも数字や数式に憧れを感じます。「関数でものを考える」といったことにとても興味があるんです。あまり他人と関わらずに、何か一つの研究テーマを黙々と追究するような人生だったら、もっと幸せだったんじゃないかと思うこともあります。そもそも人前で喋るのが苦手ですし。
結果的にICCの所長などという立場になってしまって、「ものすごく不得意な方向に進んじゃったな……」と内心では思っています。
小学生のころは、算数や理科が好きでした。特に理科の実験が好きで、家に帰ったあとも、ものの比重を一人で測ったりしていました。「誤差が出ないようにするにはどうしたらいいのか」と自分なりに試行錯誤していたのを覚えています。
私の理系指向には、父の影響があったと思います。父方の親族は理系の研究職の人が多くて、父もそうでした。戦後すぐのころ、名古屋大学を卒業して、企業の研究職として働いていた。ただ、途中で不本意な営業職に異動させられてしまったんです。父は戦争で大学に入るのが4年遅れたそうで、「だから俺は出世できないんだ」が口癖でした。
「とても敵わないと思いました」
だからといって、それを気にする様子はなく、子どもに対しても「出世なんかどうでもいい。しかし、どんな世の中になっても生きていかねばならない。要は上でもない、下でもない真ん中にいれば、上がひっくり返っても真ん中にいられる。やりたいことをやればよいが、資格があるほうがよい」という態度でした。
