現代に生きる人々の「日常と人生」を取材し、ルポエッセイとして作品化してきた、文筆家の大平一枝さん。書籍化はもちろん、漫画化もされた様々な人々の台所を訪ねる「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン&[and]掲載)は連載が13年目にもなる。新刊『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』は自身の「台所、そして料理すること」をテーマとした。そこに込めた思いと、これまでの歩みをうかがってみた。


自分のことは書かないほうがいい。いつか、嘘を書くことになるから

――文筆業を始められて30年が過ぎたとうかがいました。著書も34冊ある中で、ご自身の生活と食をテーマにしたものは初めてと。このタイミングで自らのことを書こうと思われた理由を教えてください。

大平 ずっと抵抗があったんです、自分を書くことには。というのも、あるとき、尊敬する作家の方からアドバイスをいただいたんですよ。「自分のことは書かないほうがいい。いつか、嘘を書くことになるから」って。

――それはどういう……?

大平 自分のことを書いているといつかネタも尽きるし、やってもないことをいつか「やった」と書きたくなってしまう時が必ず来るって。なるほど、とその時納得がいったんですね。あなたは人について書いていったほうがいい、ともアドバイスしてくださって。以来、愚直に人を取材してきました。いろんな人の「生活哲学と、その時代」を追うのが好きだし、性に合っているんです。

――それが今回、自分を書いてみようと思われたのは――。

大平 生活が基本的に失敗の連続なんです。料理や育児、そして仕事も失敗だらけでした。生活上の気づきは、失敗によって分かったことばかり。その中で「こうやってみたら失敗せず、うまくいった」「ラクになった」と気づけたことを書けば、読んだ方の役に立てるかと思えたんです。

「本書では、そんな、年を経てやっとわかった料理のいろは、自分の味の見つけかたを綴りたい。人さまの台所を訪ね歩くライフワークのような取材を続け、探偵のように便利な道具や作り置きの時短料理や台所の間取りを観察しているのに、じつは自分の食についてじっくり書くのはこれが初めてなのである――」(『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』17ページ)

――確かに、得てきたライフハックを誰かに教えるという感じではなく、「あの頃の自分」に「違うよー、こうやったほうがよかったんだよ」と諭すような書き方ですね。そこに静かなユーモアが漂ってくるような。

大平 誰かに「こうしたほうがいい」と教えるなんて、絶対できません(笑)。でもね、こんなあたしでもどうにかやってきた、ということは役立つ場合もあるかな、と。

――大平さんは食のプロや飲食店を取材されることも多いから、彼らの工夫やテクニックを、いろいろ生活に取り入れてきたんだろう……と勝手に思っていました。

大平 取材帰りなんて、自己嫌悪になることが多かった。出汁ってああやって取るのか、こういう料理は野菜を先に塩もみするのか、と何も知らない自分を思って。ママ友でもそうですね。うちよりちっちゃい子が3人もいるのに料理もできてすごい……なんて思ったことも。とにかく子育て中はずっと、「あたしはできていない」という思いがありました。劣等感というのは、小さい頃からあったんですよ。

――といいますと。

大平 小学3年生のとき「将来の夢」で「本を作る人になりたい」と書いているんです。文学をやりたいという思いが小さい頃からあった。でも親や周囲は「保母さんか、教員になったらいい」という感じで。窮屈でしたね。

――本を書く人じゃなくて、作る人だったんですね。

大平 あのね、本当はそう書きたかったのに、「あたしなんかが恥ずかしい」って思った。その気持ちも、書いた鉛筆の文字も、まだ覚えてます。親は地方に文学やる人なんていない、食べてもいけないよという感じでしたし(※大平さんは長野県飯田市生まれ)。また妹のほうが出来がよくて、とてもいい子で。比べられたわけじゃないんですが、自分はちっぽけだと思っている子ども時代でした。自己肯定感がずっと低いんです。

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