トレースとは愛である──と教えてくれるアニメ作品
かねてから不思議だった。なぜ人は、かくも「写す」ことに熱中するのかということが。
たとえば絵画。目の前にいる人物をそっくりに描きたいと絵描きは願い、それができれば観る者は称賛する。小説で、ある光景がありありと浮かび上がらんばかりに描写されると、それだけで読者は没頭してしまう。書道だって、巨大な筆で書くパフォーマンスは措いても、いかにお手本に忠実に書けるかに心を砕く。
似せものに感心したり、写しをつくりたくなる理由はどこにある?
おそらくは、大切に思う人物や、生命の根源たる自然、見事な先例を写すことは、相手になりきろうとする行為だからじゃないか。写すことを通して、対象に少しでも近づいて、その本質を覗き、理解する「よすが」にしたいのだ。つまりは、きわめて原初的な愛情表現といってもいい。
さてここにも、写すことに全霊を注ぐアーティストがひとり。原美術館で個展を開催中の佐藤雅晴だ。
展示のメインは映像作品で、《Calling》では、ドイツと日本の何ら変哲のない日常風景が映し出されていく。《東京尾行》は、現在の東京の景観をありのままに捉える。
精緻できめ細かい画面は一見、実写だろうと思わせるけれど、じつは違う。実写をトレースするなどしたアニメーション作品であり、パソコンソフトのペンツールを用いて佐藤が描いていったものである。
実物だと思っていたものが写しだとわかると、まずは端的に驚きがくる。次に、像が急にどこか不気味なものに見えてくる。「似ているのに、どこかヘン。怖い!」といった具合に。そのあとに、ころりと騙されてしまうほどの完璧な仕事ぶりの写しの業を、大いに称えたくなる。画面の前に立っているだけで、知覚が揺らぎ心は動く。
最初は気づかないくらいなのだから、実写とトレースしたアニメの見た目の違いは、ほんのわずかでしかない。でも、そのごく小さな差異が、作品に目を留まらせる時間を大きく変える。明らかに、人の手による写しのほうが、観る側の注意を長く惹き、あれこれものを考えさせる力を持つ。膨大な手間と時間をかけて、わざわざトレースするだけの意味はちゃんとある。
佐藤は日常の光景に題材を取り、これと決めた対象をひと筆ずつトレースし続ける。それは写し取る相手を、今よりもっとよく知ろうとする行為だ。その結果として、不可思議な感触を持つ作品が生まれ出る。
展示会場で遭遇できる作品群は、観る側のわたしたちの足を否応なく留めながら、多くのものをもたらしてくれる。当たり前のように日常を送っているこの時代や場所について、いっそう深く理解するための装置として作動してくれるのだ。
『ハラドキュメンツ 10 佐藤雅晴─東京尾行』
会場 原美術館(東京・品川)
会期 2016年1月23日(土)~5月8日(日)
料金 一般1,100円(税込)ほか
電話番号 03-3445-0651
URL http://www.haramuseum.or.jp/
2016.02.18(木)
文=山内宏泰