自身の価値観が変わっていった舞台出演

――その後、08年ドラマ「スクラップ・ティーチャー ~教師再生」で俳優デビューされるわけですが、その経緯は?

 そのドラマのプロデューサーさんが、僕がたまたま出ていた雑誌を見てくださったこともあり、今の事務所に入ることになったんです。それまで俳優をやりたいと思ったことはありませんでしたが、俳優という仕事も映画に携わることのできる道のひとつであると分かったので、この道を進み始めたんです。でも、その頃はとにかくギターを手放せなくて、撮影現場にギターを持っていって、休憩時間に楽屋で歌っていました。そういえば、そのギターは、事務所の面接を受ける通り道で買ったものですね(笑)。

――それまでの映画に対する情熱に対し、その後の俳優活動が舞台やTVドラマ中心だった理由はなぜですか?

 本当に映画しか興味がなかったので、15歳のくせに事務所には「映画の仕事しかやりたくないし、やるつもりもない」と本当に生意気なことを言っていたんです。そもそも役者というよりも、映画に関わりたかったので、正直、自分に合わなかったらやめてもいいというぐらいの気持ちだったんです。でも、それを逆手に取られまして、「そんな視野が狭い人間になっては困る」と映画から遠ざけられたんです(笑)。まったくオーディションの話もしてもらえませんでした。でも、それが自分の知らなかった世界を知ることになる、いいきっかけになったんです。

――それは具体的にはどういうことでしょうか。

 10年に長塚圭史さん演出の「ハーパー・リーガン」という舞台をやらせていただいたんですが、その頃の僕はもちろん「大きい声を出して、オーバーな芝居する舞台なんて」と思っていました。でも、長塚さんが主宰する阿佐ヶ谷スパイダースの舞台を観に行って、大きな衝撃を受けました。そして、見た目のカタチが違うだけで、作品を作る行為の素晴らしさは映画と変わらない、ということに気づかされたんです。これを機に、それまで観ることのなかった作品をあえて観るようになり、自分の中の価値観みたいなものが変わっていったんです。そして、この舞台が終わったときに、「僕は役者という仕事を続けていこう」と思ったんです。仕事は決して趣味の延長ではないし、役者であることの自覚をもたらした作品だといえます。

2016.02.05(金)
文=くれい響
撮影=深野未季