女子高生だった私に「あんた、お寺好きか?」

 私はこの花会式のパンフレットの絵を20年も担当させていただきました(昨年度から写真にリニューアル)。他にも、機関紙、書籍の挿絵、ポスターなどさまざまなお仕事をさせて頂いています。絵を描くのが好きな名もなき一人の少女だった私を薬師寺はどうして起用してくれたのでしょう。私と薬師寺との出会いは、ただお寺巡りが大好きだった高校3年生の春のことです。

 薬師寺の伽藍を一人でうろうろしている女子高校生は目立ったのか、一人のお坊さんが声をかけてこられました。

「あんた、お寺好きか? お寺好きやったら薬師寺に来いひんか」

「はあぁ……?」

 年の頃は30代前半、お相撲さんみたいに大きなお坊さんにびっくり仰天! でもとても親しみやすい方だというのは直感でわかりました。

「お寺のお手伝いに来いひんか?」

「ほんまですか? ほんまに行ってええのんですか?」

 これが薬師寺との運命の出会い、30年来のお付き合いの始まりでした。

国宝の薬師三尊像は白鳳時代の仏像の最高傑作とも言われている。

 お坊さんの名前は藤井覺田(かくでん)さん。失われた白鳳時代の伽藍を再建するために東奔西走した、あの高田好胤さんのお弟子さんでした。

 数日後、私は言われた日に恐る恐る覺田さんを訪ねました。それが薬師寺最大の行事、花会式の初日だったのです。お寺には全国から青年衆と呼ばれる奉仕の学生が集まっており、私も青年衆として台所やお客様のご案内のお手伝いをすることになりました。歴史ある伝統行事を支える一員となれた喜び。私は花会式の期間中、薬師寺に泊まり込んでのご奉仕を、大学を卒業するまで続けました。

 そうそう、並行して東大寺でアルバイトもしていましたよ(売店のお姉さんになる夢はしっかり叶えました!)。

 私はこの体験を友人にも伝えたくて、授業中にマンガに描いてクラス中に回覧しました。おかげで数学は赤点を取ってしまったのですが、後に薬師寺から機関誌にマンガの連載の仕事を頂くことになったワケです。どんな有名な画家よりも、愛情を持ってお寺のことをお伝えしたい……! そんな気持ちが通じたのかもしれません。

授業中に描いていたマンガは青年衆募集のパンフレットに使用された。
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2015.03.21(土)
文・撮影=中田文花