ドレスデンの芸術と科学を訪ね歩くことは、即ちA.ランゲ&ゾーネの足跡を辿ることでもある。中欧有数の古都に流れる悠久の時間と、その守り人の存在感に、じっと目を凝らしてみよう。
ドレスデンの進取の精神を旧市街で体現する時計に注目
ドレスデンのゼンパー歌劇場では今日も様々な古典、もしくはモダン解釈の歌劇が上演されている。ドイツ国内は無論、スイスやオーストリアのオペラ通も足繁く通う名劇場だ。2度の大火に見舞われたがその都度、ゴットフリート・ゼンパーの設計による美しい建築は再建された。
1841年、あのリヒャルト・ワーグナーが宮廷楽長として総指揮に就くのに2年先立ち、舞台の上方中央に、観劇中にも時刻を確実に知らせる時計が据えつけられた。数層の桟敷席をもつ円形かつ扇形の配列すべての観客席から、確実に時間が分かること。それがザクセン王家が要求した製作上の要件だった。
なぜなら当時の懐中時計は蓋を開くか、ベルの鳴る回数で時刻を知らせるタイプが主流で、今日のスマートフォンよろしく、劇場内でそれが始まると上演どころではなかった。
この要件に応え、ロウソクの薄明りの中で音もなく、時表示がローマ数字、分表示が5分ごとにアラビア数字で切り替わり、時刻が読み取れる「五分時計」を製作したのが、時計師グートケスとその弟子フェルディナント・アドルフ・ランゲだった。
功績が認められグートケスは宮廷時計師に、F. A.ランゲは彼の娘婿で時計工房の共同経営者となった。レジデンツ宮殿や宮廷教会の“公式な”時計塔を保全するため宮廷内に住む一方で、旧市街はノイマルクト広場近くに販売店をも構えた。
今日の街区は少し変わったものの、この頃の販売店からほとんど斜向かいといえる場所、ノイマルクト15番地に現在のA.ランゲ&ゾーネのドレスデン・ブティックは位置している。今もブティック内には、F. A.ランゲが修業時代に書き連ねたメモの再現など、彼の研究熱心さ、仕事への勤勉さを伝える展示がある。
F. A.ランゲが実際に手がけた時計はツヴィンガー宮殿内、数学・物理学サロンに多々残されている。進歩的なドレスデンの伝統に連なる科学の徒だった彼だが、時計師として義父グートケスの世代とは異なる道を歩んだ。宮廷時計師の称号ではなく政府に補助金を要請し、約50キロメートル離れた山村グラスヒュッテに時計産業を興したのだ。
CREA Traveller 2026年秋号
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