ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズが、「おんな友達との会話」。
8人目のゲストは、新刊『年とる力』(文春新書)が話題を呼んでいるエッセイスト、作家の阿川佐和子さん。近田さんとは、実は同じ時期に同じ慶應義塾大学文学部に在籍していたものの、当時は面識がなかったという。数年前に知り合い、今では肝胆相照らす仲となった二人の軽快なトークをお楽しみあれ。
慶應幼稚舎の図書室で“編み物教室”
近田 阿川さんは、1976年に慶應義塾大学を卒業してからは何をなさってたんですか?
阿川 当時はオイルショックをきっかけとした空前の就職難で、慶應の優秀な男子学生ですら、知名度の高い一流の会社には入れなかった。ましてや私なんて、何の取り柄もない女子学生だったから、就職なんて夢のまた夢だったんです。
近田 男女雇用機会均等法がスタートする10年も前ですもんね。
阿川 だったら、どうせ3、4年も経てば、どなたかと結婚するんだろうと高をくくってましたから、お見合いに励みつつ、結婚後も続けられる仕事として織物作家を目指してたんです。織物の先生に弟子入りしたり、編物も好きだったので友だち集めて教えたり……。
近田 意外なことに取り組んでたんですね。
阿川 その傍ら、いろいろとアルバイトもやってたんですよ。割と長く続いた職場は、慶應幼稚舎の図書室。
近田 おっ、僕の母校じゃないですか。よく勘違いされますが、慶應幼稚舎っていうのは、幼稚園じゃなくって小学校に当たるんですよね。
阿川 その幼稚舎出身の大学の同級生から紹介されて、最初は蔵書を整理したり修理したりと裏方の仕事をやってたんだけど、休み時間を使って、バイト仲間に編み物を教えていたら、司書の人に、「それ、子どもたちにも教えてくれませんか?」と言われて、図書室で編み物教室を開くことになったんです。
近田 なかなか面白い展開ですね。
阿川 それからは、何者なんだかよく分からないんだけど図書室にいるお姉さんとして、子どもたちのよろず相談に乗るような存在になりました。
近田 それ、相当特殊なポジションだよね。
阿川 特殊ですよ。だって、教員でも司書でもなく、何の資格も持ってないんだから(笑)。その図書館はなんでも子どもたちに経験させようという教育方針だったので、植村直己さんを始めとする著名人を講演に招いたり、チェスや英会話の教室を開いたり。その一環で私の編み物教室も始まることになっちゃって。
テレビ番組のレポーターに抜擢! 報道番組にも挑戦
近田 そのアルバイト、どのぐらいやってたの?
阿川 週に3回の勤務を、5年間続けてました。その頃遊んでくれた小学生が、後に出世して、今や、出版社やテレビ局の役員になったり、社長夫人になったりしてるんです。
近田 人には優しくしとくもんだねえ。肝に銘じますよ(笑)。
阿川 そして、20代の終わりに、たまたまテレビ局に拾ってもらい、TBSの「朝のホットライン」という番組で、一回だけレポーターの仕事をしたことが、今の自分につながる転機になりました。でも、それだって仮の姿だと思ってました。どこか、まだ嫁に行くまでの社会勉強だととらえてるところがあった。
近田 最初に本格的なレギュラーを務めたのは、1983年に始まったTBSの深夜の帯番組「情報デスクToday」。阿川さんは、アシスタントの役回りでした。
阿川 「朝のホットライン」と「情報デスクToday」のプロデューサーが同じだった縁で、私が呼ばれることになったんです。
近田 「情報デスクToday」は、しっかりした報道番組でしたよね。
阿川 だから、番組が始まる前に、父がプロデューサーと会って念を押したんです。「言っときますけど、うちの娘は何にも知りませんよ」って。「本も読まないし、漢字も読めない。政治経済なんて、なおさらろくに分かりゃしない。こんなのがお役に立てますかね」と言う父の隣で、私はごもっともという表情で座ってました。
近田 でも、結局起用されたわけですよね。
阿川 初日にテレビ局に行って、「あのー、私は何をやればいいんでしょうか」って伺ったら、「座ってりゃいいんです」と言われました。
近田 ずいぶんと軽い扱いだったんですね。
