これが本当にあの黒川か、と思うほど、強く、大きな声だった。窪田はユキの額に張りついた前髪を剝がしてやりながら、違和感を覚える。
――黒川はなぜ、ヒューマンチェーンのことを知っているのだろう。
そう思った瞬間、否応なしに一つの疑問が頭をもたげる。
黒川はなぜ、落ちた娘を前にして自分で助けに行こうとせずに人に助けを求めたのか。
救助の方法としては、それで正しい。けれど窪田は、これまで何度も、子どもを助けようと咄嗟に動いてしまう親の姿を目にしてきた。
無論、黒川を止めたのは自分だ。だが、黒川は自分が制する前から、飛び込む姿勢にはなっていなかった。身を乗り出してはいたものの、両膝をついたままだった――
「ママ」
腕の中から聞こえた涙交じりの声に、ハッと我に返った。今はそんなことを考えている場合ではない。
「大丈夫、もうすぐママのところに戻れるからね」
窪田はユキに語りかけ、岩の方へと移動していく。岩まで流れ着き、まずはユキを岩の上に乗せると、腹と腕に力を込めて自身の身体を引き上げた。濡れたハーフパンツが脚にまとわりついて重い。それでも何とか水から出きってしまえば、あとは慎重に登っていくだけだった。ユキをしっかりと抱え直し、一歩一歩踏みしめるように足を進める。
地面まで辿り着いたときには、知らず息が漏れた。
「ユキ!」
黒川が涙で濡れた顔をくしゃくしゃにしながら娘を抱きしめる。ユキもまた、大声で泣きながら母親にしがみついた。
その光景に、集まってきていた元同級生たちが一斉に歓声を上げる。おまえマジすげえよ、やっぱり現役の消防士さんは違うよね、やばいめっちゃかっこよかったんだけど、窪田ヒーローじゃん――口々に上がる言葉の中に、ヒーローという響きを聞き取った瞬間、腹の底で何かが蠢くのを感じた。脳裏に、先ほど目にした黒川の姿が蘇る。
娘の背中に手を伸ばした黒川の姿。
